曲は全体が切れ目なく演奏されますが、作曲年代を考えるとこれは先進的と言えると思います。第一楽章はまるでショパンのピアノ協奏曲第一番第一楽章の様な感じです。オーケストラの序奏に続いてピアノがロマンティックな主題を引き継ぎますが、その後の展開においてピアノとオーケストラの対話はあまり感じられず、この当たりにもショパンを感じてしまいます。第二楽章に入ると曲は緩やかになり、オーケストラの出番が無くなります。ピアノがしばらく独奏で柔らかなテーマとその変奏を続け、やがてそれが独奏チェロに引き継がれてピアノは伴奏にまわり、極上の二重奏を繰り広げます。この第二楽章に入ると一瞬ピアノ協奏曲を聴いている事を忘れてしまいます。最後にティンパニーの低い音の連打が数回繰り返されると、賑やかなファンファーレと共に第三楽章へと突き進んで行きます。第三楽章はローベルトがオーケストレーションに深く関与したからでしょうか、それまでの楽章とは異なり、オーケストラとピアノの掛け合いが親密になって行き、スケールも大きくなります。そして華々しくフィナーレを迎えます。この第三楽章の完成度は極めて高いと思います。
この協奏曲でクララの天才性を理解してください、とは言いません。客観的に見れば第一楽章のオーケストレーションの出来栄えは亜流と評されても仕方ないでしょう(13〜16才の作品として割り引いて見れば立派ですが)。しかし第二楽章の楽想は煌めいていると思います。私が知る限りにおいて、クララよりも前にこの様な大胆なチェロ独奏パートを協奏曲に組み込んだ例を知りません(私はそんなに協奏曲を聴いてはいないので、前例は有るかも知れませんが)。チェロ独奏で一番有名なピアノ協奏曲はブラームスの二番ですが、クララがこの曲を作曲した時まだブラームスは生まれたばかりの赤子でした(1833年5月生まれ)。そしてブラームスのこの楽想がクララのこの協奏曲から来ていることは音楽研究家の認める所です。
この協奏曲のもう一つの鍵は、ピアノとオーケストラの関係です。第一楽章は「疎」、第二楽章は「別離、そしてチェロを介して仲直り」、第三楽章は「密」という「進化」を弱冠13〜16才の少女が意図したとしたら、凄いことだと思います(あまり音楽的な効果を上げているとは思えませんが)。
この曲のCDを私は一枚しか持っていないので、あまり正当な解釈が出来ていないかも知れません。n'Guinさんのホームページのクララの部屋でもこの曲の解説が読めますので、是非とも読んでみて下さい。また、後日別のCDを入手したらこの解説を改訂したいと思います。
私の持っているCDは、世界唯一のクララピアノ独奏曲全集を録音しているJozef de Beenhouwerが未完部分を補稿&オーケストレーションをした楽譜による演奏で、これを聴くとスケールの大きさに驚いてしまいます。まるでローベルトかブラームスのピアノ協奏曲を聴いているような錯覚に陥ります。作品7とは違ってピアノとオーケストラの掛け合いは抜群で、ピアノは常にオーケストラと有機的に交わっています。オーケストラの各パートも明瞭に分離した存在感を持ち、ひょとしたら夫のローベルトよりもオーケストレーションが上手いかもしれません(なんて言うと世界中のシューマニアーナの方々に怒られますが)。
ピアノ独奏曲でも同じですが、クララの曲風はローベルトとの結婚騒動(結婚を父親に強行に反対され妨害され、裁判沙汰にまでなりました)の前後でがらりと変わります。若い頃の作品は茶目っ気たっぷりの、可愛らしい曲風が多いですが、結婚騒動後の作品は、苦しみも悲しみも切なさも知った女の、ちょっと陰りを持った曲風が多くなります。この協奏曲も陰りのある曲風で、冒頭はブラームスの交響曲第一番第一楽章冒頭と勘違いするようなティンパニーの低い打音で始まります。そしてピアノとオーケストラが親密に混じり合いながら主題を展開して行きます。中間部にはクララならではの優しいテーマによる部分も有り、クララの存在感を保っています。
この協奏曲のオーケストラパートの主題はブラームスの一番第一楽章と驚くほどの近似性が有り、さながらピアノ伴奏付のブラームス交響曲第一番と言えるかも知れません。もちろん作曲年代はクララの方が圧倒的に早く(この時まだブラームスは14才です)、ブラームスがまたもやクララの楽想を使って歴史に輝く大曲を作曲していることが発見されるわけです。
この協奏曲がKonzertsatz(単一の協奏楽章)ではなく、3〜4楽章のピアノ協奏曲として完成されて出版されていたら、クララは作曲家としてもっと有名になっていたかも知れません。でも個人的にはそうならなくて良かったと思います。クララはここに集う限られた人達だけの「クララ」であって欲しいのです。無思慮な批評家たちの毒牙は、クララにはいつの時代にも無用です。