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※曲目のデータなどは、ナンシー・B・ライク著「クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯・高野茂 訳」
 及びその原書をベースに作成し、手持ちの文献、CDの解説などを参考にして補填しました。

スケルッツオ 作品10
SCHERZO pour le Pianoforte
(ピアノの為のスケルッツォ〜初版の表題に記されたタイトル)

この曲は1838年7月以前に作曲されています。この頃のクララの生活は愛と苦難に満ちた物でした。

1837年5月にローベルトとクララは二人の間で婚約を交わし、4ケ月後のクララの誕生日の9月13日に父フリードリッヒ・ヴィークに結婚の承諾を申し入れます。ところがヴィークは結婚に猛反対、ふたりが文通することも、二人だけで会うことも禁止されてしまいました。しかし二人は父の言葉には従わず、両親に気づかれない様に、友人の助けを借りて非常に多くの手紙を交換します。それは愛情と希望と不安と憤りに満ちた、まさにローベルト&クララ・シューマンの名を後生に残した美しい手紙たちで、これによって二人はお互いの愛を確認し、二人の将来を確信しあうのでした。
1837年9月の父ヴィークへの結婚申込とその決裂のあと、10月から翌年の5月までクララはウィーンに演奏旅行に出かけ、華々しい成功を収めました(その様子は作品9の解説を参照下さい)。その成功はクララにとって父ヴィークとの苦い結婚争議の中にあって、ひとときの心の安らぎでしたが、1838年5月13日にライプツィッヒの自宅に戻れば、そこにあったのは父との確執だけでした。父の反対と二人に対する様々な妨害が酷くなればなるほど、しかし二人の結束は強くなって行きました。この頃ふたりは1840年の復活祭の頃を結婚の日と決め、またクララは父を捨ててローベルトと共にウィーンに行って生活する決心をしています。その様な状況下でこのスケルッツォ作品10は作曲されています。

クララの作品を大まかに分類すると、
 作品1〜4  「少女クララの溌剌とした楽想が、そのまま鍵盤の上に舞い降りた曲達」
 作品5〜9  「コンサートピアニストであるクララ・ヴィークがコンサートで演奏する
         為に作曲した、当時の流行に沿い技巧を披露するような曲達」
 作品10以後 「愛も苦難も知った大人の女性、クララ・シューマンの心の内面の音楽」
の三つに分けられると思っています。

   ※但しこの様な単純な分類には無理もあり、例えば音楽夜会・作品6は作品10以後の仲間に
    入れても良いような陰影に満ちた美しさを湛えています。

作品10は上記分類で最後のカテゴリーに入れられる、愛と苦難に満ちたクララの、心の内面が深い陰影によって美しく再現された音楽です。クララ自身もこの曲をとても気に入っていたようで、その後のコンサートで頻繁に演奏されました。加えて晩年の1879年にクララはClara Schumann Pianoforte-Werkeを出版しますが、このスケルッツォはクララの若い時代の曲として唯一、このピアノ曲集に収められました。

曲は「ふたつのトリオを持つ拡張された形式」(ナンシー・B・ライクの本による)で、AーBーAーB’ーAの構造を持ちます。最初(A)はテンポの速い、音符が小刻みに上下に動き回る、不安と哀しみに満ち溢れたメロディが展開されます。そして最初の中間部(B)、ややゆっくりとしたリズムになって、希望の光を探してさまようような、しかし不安な気持ちは拭いきれないような雰囲気のまま、すぐにまた冒頭部の不安と哀しみに満ちたメロディの中(A)に落ち込んで行きます。
しばらくすると次の中間部(B’)。最初の中間部よりも一層ゆっくりとした、安堵感に満ちたメロディになります。やっと辿り着いた安住の地、心の安らぎという感じでしょうか。(B)よりも演奏時間はかなり長くなります。しかしやがてそれも白日夢、また不安と哀しみのメロディに戻ってしまい(A)、短いドラマティックなコーダで曲は終わります。

当時のクララの心境を良く現した、哀しくも美しい佳曲だと思います。


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