献呈者のマリー・ヴィークはクララの異母妹(父ヴィークはクララの実の母と離婚後、別の女性と再婚していました)で、当時13歳。すでに演奏活動を始めていたそうです。
作品14の解説でも書きましたが、1840年から1844年ぐらいまではクララの最も幸福な時期でした。ローベルトの病状は良好で、素晴らしい作品を毎日のように作曲し、また長女マリー、次女エリゼが1841年9月と1843年4月に産まれ、日々が新しい喜びに満ちていました。その様な中で作曲された作品15は極めて暖かい、幸福な、女性らしい優しさに包まれている佳品と言えます。この曲をKonstanze Eickhorstの演奏で聴いていると、私の方まで幸福な優しい気持ちになれます。
第一曲 Larghetto in F major は緩やかで優しい曲。暖かい左手の分散和音の上に、右手の嫋やかで爽やかなメロディ。幸せいっぱいな女性が朝の爽やかな光の中に感じる空気感? 中間部のちょっと不安げな短調のリズムは新妻の今後の生活に対する「私、うまくやれるかな?」という不安な気分? あるいはちょっとだけ彼に我が侭を言ってみただけでしょうか? いずれにしてもすぐに明るいメロディに戻ります。
第二曲 Un poco agitato in A major はイ短調のスタッカートの付いた上昇八分音符による不安げな左手のメロディに、右手が呼応するオープニング。それはすぐに明るい響きを帯びるけど、また不安げな短調に戻ってしまいます。不安と希望の狭間でたゆたう女心の響き? 中間部で長調になってもそれは同じ。明るい響きは長続きせず、すぐに不安な陰りを帯びてしまいます。
第三曲 Andante espressivo in D major はクララの曲の中でも最も美しいものの一つ。女性らしい優しさ、デリケートさに満ちた和音とメロディ。きっとこれは産まれたばかりの我が子を脇に、母親がベッドでささやく子守唄?いや、その子守唄を歌っているときの母親の気持ち。この上も無く優しく、包容力に溢れた暖かさ、なんだと思います。
この曲のフレーズはブラームスのピアノソナタ第三番作品5の第二楽章 Andante espressivo(クララの曲と同じ指示ですね)に現われます。このAndante espressivoには美しい詩が添えられていますが、前田昭雄先生が仰るようにクララのこの曲にも似合う詩です(前田昭雄先生の解説(下記)を参照下さい)。このソナタはブラームスがシューマン家を初めて訪問した1853年10月に、シューマンの住むデュッセルドルフで完成しました。しかし第二、第四楽章はもっと前に完成していたとの事です。もしそれが事実なら、ブラームスはクララに会う前に彼女のメロディを自分の作品に取り込んでいたことになります。なお、クララはこのソナタの第四楽章のAndante moltoの主題をロマンス・ロ短調(1855年に作曲)に取り入れて、ブラームスに献呈しています。
この第三曲についてはエレーヌ・ボスキ盤のCDライナーノーツの中で前田昭雄先生が解説されていますので、全文をご紹介します。
ロマン主義の豊かな秋に、美しく結んだ小さな実。叙情の憂れわしいたゆたいは、ブラームスの後期を思わせもする。ブラームスのピアノソナタ第三番OP.5のアンダンテにそっくりの旋律も流れる。そこに掲げられたシュテルナウの詩句など、クララのこの曲に思い合わせてみたい。
「夕べは暮れ、月あかりしるく
ふたつのこころ、愛のうちにひとつとなり
ながく、しあわせに、離れずに・・・」
そういうひとときは、永遠にはつづかない。クララの思いは追憶に遊び、かなしみのうちに響きをおさめる。
第四曲 Scherzo in G major は何かすばしっこい物を楽しげに追いかけるようなト長調のリズミカルなメロディ。何でしょう? 追いかけている物は? 一歳を過ぎたマリーをお風呂に入れようとして、服を脱がせようとしたら彼女が走り回って逃げたのかな? そんな感じです。やっとマリーをつかまえて、中間部。ちょっと落ち着いたメロディになって、子供を優しくしかるような短調のメロディ。クララならではの憂愁に満ちた深遠な言葉で「さあ、お風呂に入りましょうね?」と言っても子供はきかない。油断したスキに又マリーは逃げて元の追いかけっこ。最後の最後にクララはマリーをつかまえる、その瞬間の二つの大きな和音?で曲は終わります。