クララ・シューマンについて (ミニ伝記) クララ・ヴィークは1819年9月13日にドイツ・ライプツィヒで生まれました。優れたピアノ教師であった父フリードリッヒ・ヴィークのマン・ツー・マンのレッスンにより小さい頃から天才ピアニストとして頭角をあらわし、僅か9歳でライプツィヒ・ゲヴァントハウスにコンサートピアニストとしてのデビューを果たしています。その後12歳の時にはゲーテの御前で演奏して賞賛され、18歳でウィーン皇帝の御前で演奏して王宮廷内室内楽演奏家の称号を与えられ、当代一流のピアニストとしての地位を不動のものにしました。 1828年 8月、クララが8歳の時にローベルト・シューマンがピアノレッスンを受ける為にヴィーク家に住み込み、クララとの交友関係が始まりました。当初はピアノを習いに来た兄と、ピアノの上手な妹の様な関係でしたが、クララがロマンス・ヴァリエ・作品3をローベルトに捧げ、その主題を用いてローベルトがクララ・ヴィークの主題による即興曲・作品5を作曲した1833年にふたりの友情は愛情に変わります。そしてその後のローベルトの作品にはクララを想う感情が様々な姿で現れるようになりました。 ふたりが正式に将来を誓い合ったのは1837年8月13〜15日の間に交換された手紙の中でのこと。そして1ヵ月後の9月13日、クララの18歳の誕生日にローベルトはクララの父ヴィークに結婚の承諾を求めましたが、ふたりの期待に反してヴィークの猛反対に遭ってしまいました。やがて結婚を巡るヴィークとの争いは裁判に発展しましたが勝訴し、1840年9月12日に結婚しました。 結婚後、長年の夢が叶ったローベルトの創造力は頂点に達し数多くの名曲がジャンルごとに集中して生まれ、1840年は歌曲の年、1841年は交響曲の年、1842年は室内楽の年と呼ばれています。一方のクララは長女マリエを身ごもった1840年末から、末子(四男)フェリックスを出産した1854年6月までの僅か13年半の間に10回妊娠し、8人の子供を産みました。この身体の休まる間もない中で、クララは作曲家ローベルトを支える主婦、家計の一翼を担うコンサートピアニスト、そして控えめながら作曲家として活動するという、実に多忙な日々をおくりました。 1853年9月30日に20歳の若きヨハネス・ブラームスがデュッセルドルフのシューマン家を訪問しました。生憎この日シューマン夫妻は外出中でしたが、翌10月1日にブラームスが再訪し、シューマン夫妻に自作のソナタ(第1番作品1)などを聴かせました。夫妻はブラームスの天才性に感激し、ローベルトは「新音楽時報」にブラームスを華々しく紹介。これを機に大作曲家としてのブラームス歩みが始まりました。 その4ヶ月後の1854年2月にローベルトはライン川に投身自殺を図りました。この時は直ぐに助けられましたが、その後エンデニヒの精神病院に入院し、2年後の1856年7月29日に亡くなりました。この苦境の中にあったクララとその子供達を、ブラームスは献身的に支え、そしてクララ一家とブラームスの家族ぐるみの友情関係は終生続きました。 ローベルト亡き後のクララは、残された7人の子供を育てつつ(生まれた子供は8人ですが、長男エミールは1歳で他界)、当代一のピアニストとして演奏活動を続ける中でローベルトの作品を世に紹介し、またシューマン全集の編纂にあたりました。1878年からはフランクフルトで音楽院の教授も務め、後世のピアノ教育に多大な影響を与えました。そして1896年5月20日、76歳でその生涯を閉じています。クララの後半生は夫の作品とその正統な解釈を後世に残すことに捧げられたと言えるでしょう。ドイツはクララのこの美しくも苦難に満ちた生涯を讃えて、ドイツ通貨のシンボルと言うべき100マルク札(日本で言えば一万円札)の肖像にクララ・シューマンを起用していました。
ファニー・メンデルスゾーンが600近い曲を作曲しながら両親から出版を反対され、一部は弟フェリックスの名前で出版されたほど「女性が作曲する」こと自体が否定されていた時代に、クララは9歳から作曲を始め、ローベルトが精神病院に入院していた1855年に作曲活動に事実上の終止符を打つまで、ピアノ曲、ピアノ協奏曲、室内楽、歌曲など50以上の曲を作曲し、その多くが出版されています。当時の女性作曲家としては異例とも言える成功の背景には父や夫の理解と援助もありましたが、曲そのものが優れていて当時の聴衆を虜にしたからに他なりません。 クララの作品を例えばベートーベンなどの大作曲家の作品と比べれば、規模の大きさ、作曲技法の巧みさなどでは一歩も二歩も譲るでしょう。それはクララの作品が9歳から35歳までに書かれた「若書き」である為でもありますが、ベートーベンや夫のローベルトとは違い、彼女には大作曲家として大成しなければならぬという呪縛が無く、その時々の自分自身の心の内を素直に表現しているからです。大作曲家の音楽が描く壮大な情景や激情も良いですが、野に咲く一輪の花の美しさや、ささやかな幸福にも胸ときめかせられる人ならば、クララの音楽に共感できるでしょう。 |