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※曲目のデータなどは、ナンシー・B・ライク著「クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯・高野茂 訳」をベースに作成し、手持ちのCDの解説を参考にして補填しました。
ロマンティックなワルツ 作品4
VALSES ROMANTIQUES Pour le Piano
(ピアノのためのロマン的ワルツ集〜初版の表題に記されたタイトル)
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作曲年;1835年7月以前(15才)
(クララの1835年8月7日付けの日記に「私は(7月)25日にオーケストレーションを完成し、自分で書き上げた」と書いている)
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初演;1835年9月8日以前に、オーケストラバージョンが初演されている。
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出版年;1835年(15才)
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献呈者;エンマ・エッガース夫人(旧姓ガルリヒス)
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自筆譜の所在;ピアノ譜:不明。
この曲はオーケストラにも編曲されたが、出版譜を含めて一切の楽譜が残されていない。
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演奏時間;7'30" (Jozef de Beenhouwer盤)
この曲が作曲されたのは恐らく1835年の前半ですが、この頃のクララとローベルトの関係は紆余曲折を乗り越えて、お互いの関係が決定的になる過渡期にありました。作品3のところで解説したように、クララの作品3とローベルトの作品5で主題を分かち合った1833年頃に、二人はお互いを強く意識しはじめました。しかし1834年4月になるとエルネスティーネが登場します。クララがブラウエンで演奏した時に聴きに来ていたフリッケン男爵は、その演奏の見事さに感心し、17才の娘のエルネスティーネをヴィーク家で学ばせることを決めました。そしてローベルトはヴィーク家に来たエルネスティーネと恋に墜ち、密かに婚約までしました。フリッケン男爵の領地、すなわちエルネスティーネの居住地である「Asch
- A, As, c, h」の文字を使って、名曲謝肉祭を作曲したことはあまりに有名ですね。しかしローベルトはエルネスティーネが男爵の実の娘ではなく私生児で、財産相続権も無い事を知り、1834年12月にはエルネスティーネと別れる決心をしました。(しかし、正式な婚約解消は1835年まで持ち越されます。)
エルネスティーネとローベルトの交際と婚約で、既にローベルトを愛していたクララの心は大きく揺れ動きました。ローベルトがクララに対して心のこもった手紙を書くのは1835年8月28日になってからなので、それ以前に完成している作品4はクララの心が大きく揺れ動いている中で書かれたことになります。
この後、1835年11月末、ローベルトはクララに初めてのキスをして、二人の仲は固く結ばれたのでした。
クララの作品2以降、クララとローベルトはお互いの作品の中で楽想を分かち合っています。この作品4も例外ではなく、曲の冒頭のアップテンポで音符を連打ながら下降する音型は、ローベルトの謝肉祭作品9の第16曲「ドイツ風ワルツ」にそのままの形で現れます。
Nancy B. Reich, Clara Schumann The Artist and the Woman,
2001 Revised Edition p.233 より引用
曲は短い序奏の後で「ローベルトのドイツ風ワルツに現れるメロディ」を提示し、それが展開されて行く形で進んで行きます。全体的な印象はより大人になった作品3という感じで、良い意味で明るくエネルギッシュな若きクララの香りの中に、ほのかな大人の女性めいた表情が漂います。クララの場合、音楽的な完成度は作品番号が進むに連れて急速に上がっていますので、作品4は誰が聞いても大きな不満の出ない、陰と陽、静と動が適度にミックスされた、耳に優しく心地よい音楽になっています。当時既にコンサートピアニストとして大活躍していたので、曲の最後には雄大な演奏技巧を披露する部分も織り混ぜられています。
この曲にはクララ自らがオーケストレーションしたというバージョンがあるのですが、残念ながら楽譜が残っていません。クーヒェンガルテンでの初演の時には好評であったとクララは1835年9月8日の日記に書いています。どんな曲なのか聴いてみたいのですが、叶わぬ夢ですね。
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