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※曲目のデータなどは、ナンシー・B・ライク著「クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯・高野茂 訳」をベースに作成し、手持ちのCDの解説を参考にして補填しました。
音楽夜会 作品6
Soiree Musicales contenant Toccatina, Ballade, Nocturne, Polonaise
et deux Mazurkas
(トッカティーナ、バラード、ノクテュルヌ、ポロネーズ、二つのマズルカからなる音楽の夜会
〜初版の表題に記されたタイトル)
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第一曲;Toccatina in A minor
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第二曲;Notturno in F major
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第三曲;Mazurka in G minor
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第四曲;Ballade in D minor
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第五曲;Mazurka in G major
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第六曲;Polonaise A minor
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作曲年;1836年(16〜17才)
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初演;不明
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出版年;1836年11月(17才)
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献呈者;ヘンリエッテ・フォイクト夫人
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自筆譜の所在;不明
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演奏時間;2'02", 4'36", 3'10", 5'16", 2'10", 3'44", 合計 21'02" (Konstanze
Eickhorst盤)
1836年、クララとローベルトは深く愛し合うようになり、2月にふたりの間で結婚を約束します。その事がクララの父フリードリッヒ・ヴィークに知れると、二人の恋愛は父の逆鱗にあい、クララはローベルトと会うことが禁止されました。悲しみに沈むクララをメンデルスゾーンを初めとして多くの友人が訪問します。その中に何年ぶりかでヴィーク家を再訪したショパンもいました(1836年9月12日、クララの17才の誕生日の前日でした)。その様な状況下でこの曲は作られています。ローベルトに会えない逆境の中で心のはけ口として作曲熱が高まったのでしょう。素晴らしい曲が生み出されています。しかしこの時点で父との確執が4年に渡る長き物で裁判沙汰になるとは思っていなかったはずで、後期の作品に見られるような深い悲しみを湛えたようなメロディはまだ現われていません。
この曲は若きクララの最高傑作の一つです。音楽夜会と題されてますが、私の個人的な感覚では「
6つの小さな宝石たち」あるいは「17才の宝石箱」と言う方がしっくりきます。なお、献呈者のヘンリエッテ・フォイクト夫人は当時の音楽家の良き理解者で、自宅に音楽家を招待して音楽夜会を催した人です。ローベルトも頻繁に招待されていました。
曲名のノクターン、マズルカ、バラード、ポロネーズと言えばショパンを思い出します。実際この曲はショパンから多くの影響を受けています。1836年9月のショパンの再訪もありましたが、この頃のクララはコンサートで彼の作品2(ドン・ジョバンニの「奥様お手をどうぞ」による変奏曲〜今日殆ど聴かれなくなったピアノとオーケストラの曲です)をレパートリーとして頻繁に取り上げており、ショパンはクララにとって音楽の(もうひとつの)憧れでした。
第一曲のトッカティーナはイ短調の急速なテンポで始まりますが、中間部ではイ長調に転調しどこかで聴いたことのあるような懐かしくも美しい、優しいメロディがしばらく続きます。最後は又イ短調に戻り、もとの主題に戻って曲を終えます。
第二曲のノットゥルノはまさにノクターンの世界。ショパンかローベルトの曲(思い出せません)で聴いたことがあるような優しいメロディが曲全体を包み込んでいます。
マズルカはポーランドの舞曲から生まれた形式ですが、第三曲はゆったりとしたもの悲しいメロディの舞曲です。しかしト短調からト長調に転調した明るいテンポの中間部は非常に個性的で、その美しさはクララならでは。
第四曲、その名のとおり緩やかなメロディに包まれたバラードです。短調のメロディの端々に蒔かれているキラキラとした右手の明るいメロディは、若きクララならではです。
第五曲、マズルカは知る人ぞ知るクララのモットー!ローベルトの名曲ダヴィッド同盟舞曲集の冒頭に使われたメロディから始まる佳品です。
第六曲、ポロネーズは一転してもの悲しい雰囲気の舞曲。フラメンコをずっと大人しい音楽にした感じの曲です。
このように作品6は幾つかの旋律でショパンを感じさせるところがありますが、曲全体は可憐な女性らしいクラリズムに満ち溢れています。
ローベルトはこの作品6から二つの引用をしました(と多くの書籍、CDの解説書に書いてあります)。ひとつはノットゥルノの旋律で、ローベルトのノベレッテン作品21の第8曲に用いられています。もう一つは第5曲のマズルカの冒頭で、ダヴィッド同盟舞曲集作品6の第一曲冒頭に「クララのモットー」という注釈と共に使われています。しかし私の耳にはこの二つに限らず、もっと多くのローベルトの旋律が聞こえてきます。それがローベルトのどの曲のどの部分なのかはっきりしません。ピアノ協奏曲イ短調作品54の第二楽章の旋律もあるような気がするし...クララとローベルトが当時お互いに音楽的霊感を共有していたからなのでしょう。実際には引用していなくても、ローベルトの何かのメロディに聞こえるのは。
もう一つこの曲に絡んでローベルトが引用した物がありそうです。これはn'Guinさんの説なのですが、ダヴィッド同盟舞曲集にクララの主題のみならず、作品番号の「6」も使ったというものです。言われてみるとダヴィッド同盟舞曲集の作曲/出版年は1837年で、これよりも作品番号の大きい7(トッカータ)、8(アレグロ)、9(謝肉祭)、10(パガニーニのカプリースによる練習曲)、11(ピアノソナタ第一番)よりも後に作曲/出版されています。ローベルトは自分の誕生月でもある「6」という番号を大切に取っておき、クララの作品6と主題と番号を共有したのでしょうか。ダヴィッド同盟舞曲集が作曲された1837年8〜10月は、9月13日(クララの18才の誕生日)にローベルトが意を決してクララの父、フリードリッヒ・ヴィークに正式に娘との結婚を申し出たという特別な時期でした。二人の愛の結束をこんな所でも表したのかもしれません。ちなみに作品番号で一つ前のローベルトの作品「5」は1833年8月にクララの作品3の主題を使って書かれた「クララ・ヴィークの主題による即興曲」です。クララの作品3(同じ1833年作曲)はローベルトに初めて献呈された曲で、作品5はその返礼でした。ローベルトはクララの作品3とローベルトの作品5の双方の楽譜の表紙に二人の名前が並んだことを喜んで「表紙にふたりの名前が共にしるされたことが、将来二人の意見と理想が一致することの予言でありたいと願う..」と手紙に書いています。また晩年にクララは「ローベルトとの愛は遅くとも1833年には確かな物となっていた」と回顧しています。作品5(1833年の愛の確証)のあと4年間も作品番号「6」を使わず、それを正式な結婚申込の時に使ったのですから、主題と「6」という特別な数字をふたりの間で共有するという企ては(それが事実だとすれば)愛が確かになった直後のローベルトの「決心」だったことになります。
(1999.7.28、ローベルトの命日を数分後に控えて)
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