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※曲目のデータなどは、ナンシー・B・ライク著「クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯・高野茂 訳」をベースに作成し、手持ちのCDの解説を参考にして補填しました。
ベッリーニの「海賊の歌」にもとづくピアノの為の演奏会用変奏曲 作品8
VARIATIONS de Concert pour le Piano-forte, sur la Cavatine du Pirate,
de Bellini
(ベッリーニの「海賊の歌」にもとづくピアノの為の演奏会用変奏曲〜初版の表題に記されたタイトル)
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作曲年;1837年2月以前(17才)
(クララの1837年2月2日付けの日記に「演奏会用変奏曲作品8を今日完成させた。アドルフ・ヘンセルトに献呈するつもりだ」と書いている)
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初演;1837年3月1日、ベルリン
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出版年;1837年10月(18才)
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献呈者;アドルフ・ヘンセルト(1814-1889、ピアニスト兼作曲家)
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自筆譜の所在;不明。
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演奏時間;15'11" (Jozef de Beenhouwer盤)
この曲が作曲された時代に於ける、ピアニストのあるべき主要レパートリーは、イタリアのオペラ〜ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティなど〜の主題を基にした自作の音楽でした。多分、現代に例えれば、ベートーベンやモーツアルトのソナタが弾けないとコンサートピアニストとして認められない、と言うような風潮に似ていたのでは無いかと想像出来ます(当時のピアニストはみな作曲家でもあった事を理解しておいてください。演奏専門のコンサートピアニストの出現はもっと後の時代になってからの事です)。そしてその時代が求めたものは"bravura"、大胆華麗な演奏技法です。これはシューマンが馬鹿にし、後年のクララも忌み嫌った曲のスタイルですが、当時の聴衆からの要求、興行上の理由からクララもそのジャンルに属する曲を作曲しました。それがこの作品8です。1832年にクララはベッリーニのオペラ「海賊」を見ており、それを基に書いた変奏曲です。
この曲は1837年2月に完成され、1837年3月1日のベルリンでの初演を皮切りに、1839年5月16日までに少なくとも13回のクララによる公開演奏が行われています。3月1日のベルリン初演は父ヴィークから妻への手紙の中で「大成功であった」と書かれ、曲が時代の要請に沿っていた為でしょう、その後の演奏評も概ね「素晴らしいbravuraだ!」という論調が多く好評だった様です。
この曲が作曲された1837年と言えば、父ヴィークがローベルトとクララの交際を知ると、二人の接触を一切禁止し、クララはローベルトと逢うことも文通することもままならぬ暗黒の時期でした。しかし興行上の理由から出来上がったこの曲には、その様な作曲者の感情は織り込まれてはいないようです。
曲は導入部、主題提示、そして6つの変奏からなります。各変奏の間には短い連結部が置かれています。
導入部 (Introduzione)は2分半に及び、勇ましく、装飾的で、絢爛華麗な音楽になっています。ピアニストの手は鍵盤の上を右から左、左から右へと飛び回り、強打したと思えば小刻みに連打してみたり....当時の聴衆に「さあ、これからbravuraな音楽が始まるぞ!」と知らしめるに相応しいオープニングになっています。
その後で主題が提示されます (Cavatine - Andantino)。アンダンテの優しいメロディで、こんなメロディを主題に選んだあたりにクララらしさの片鱗が見えます。ただ、主題提示は多少の変化を加えながら6回も繰り返され、現代の耳にはちょっとくどいかも知れません。これはその後に続く変奏にも言えて、同じ音楽が何度も繰り返し出てきます。
第一変奏 (Piu Allegro)は明るいテンポとメロディで、左手の装飾的な和音を伴いながら、右手が華やかに鍵盤の上を飛び回って主題を変奏してゆきます。
第二変奏 (Molt grandioso, ma non troppo Allegro)はゆったりとしたテンポの、明るい中にちょっともの憂げな響きを持たせた音楽。左手は絶え間ないアルペッジオによる装飾的な伴奏、右手は高音域でクリスタルにも似た華やかなメロディをゆったりと奏でて行きます。
第三変奏前半 (Brillante)は短調による壮大かつ悲愴感に満ちた音楽。今度は左手のバスが主題を追いかけ、一方の右手は目まぐるしく上下に動き、華麗な伴奏を繰り広げます。
第三変奏後半 (Adagio quasi Fantasia a Capriccio)は非常にゆったりとした、優しい音楽。クララの好きな右手の上昇和音が多用されて、キラキラとした感覚が描かれています。中間部では少し劇的な変奏を加えますが、やがてまた冒頭の優しくキラキラとした音楽に戻ります。
第四変奏 (Brillante e passionate)は華やかで明るいテンポの音楽。第一変奏にも似て、左手が装飾的な和音を連打しながら、右手が目まぐるしく動き回り主題を華麗に変奏してゆきます。
フィナーレ (Volante)は両手が目まぐるしく上下に動き回る走狗が多用されている絢爛な事この上ない音楽になっています。最後は劇的に音楽を閉じます。
全体的には過度に装飾的で、鍵盤の上を忙しく動き回る指使いを見せる為の音楽、当時の聴衆のウケを狙った音楽という感覚が拭いきれません。クララ本来のデリケートさや優しさには欠ける曲です。言ってみれば1830年代のピアニスト・クララにとっての必要悪といえる曲でしょう。
クララも、父ヴィークも、ローベルトもクララのコンサートの曲目については非常に慎重、かつ現実的で、賢明でした。当時の聴衆のレベルに合わせて曲目を選定した結果、作品8の様な曲を弾いたり、ローベルトの曲を「弾かなかったり」しました。ローベルトの作品が出版されるとクララがすぐに初演しているかの様な理解があると思いますが、これは誤解で、実はかなり後年まで演奏されない例が沢山ありました。また作曲直後に演奏されたとしても、分かりやすい曲だけの抜粋版であったりしました(例えばクライスレリアーナは、ローベルトの死後3年の1859年になって初めて抜粋版が公開演奏されました)。それだけローベルトの曲は先進的で、当時の聴衆には理解し難く、その事をヴィークも、クララも、そして誰よりローベルト自身が分かっていました。ローベルトがクララに対して、自分の曲をコンサートで弾かない方が賢明でるという忠告をした手紙は沢山残されています。また逆にクララが当時の聴衆受けするような、演奏効果の上がる曲をローベルトに頼んだ事もありました。その様な時代背景の中で、「愛するローベルトの曲を弾かない」という事の対極にある現象が、この作品8の作曲と公開演奏では無いかと思います。
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