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※曲目のデータなどは、ナンシー・B・ライク著「クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯・高野茂 訳」をベースに作成し、手持ちのCDの解説を参考にして補填しました
3つのロマンス 作品11
Trois ROMANCES pour le Piano
(3つのピアノの為のロマンス〜初版の表題に記されたタイトル)
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第一曲;Andante in E flat minor
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第二曲;Andante in G minor
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第三曲;Moderato in A flat minor
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作曲年;1839年(19才)
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初演;不明
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出版年;1839年秋(19才)
第二曲は単独で別途1839年9月の「新音楽時報」の付録として掲載され、
アンダンテとアレグロの名前で出版された。
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献呈者;ローベルト・シューマン
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自筆譜の所在;不明
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演奏時間;第一曲3'29"、第二曲5'58"、第三曲4'31"、,合計 13'59" (岩井美子盤)
この曲は1839年、クララ19才の春から夏にかけてパリで作曲されています。
1836年にクララとローベルトの間での結婚の約束がクララの父、フリードリッヒ・ヴィークに知れると、ヴィークはふたりの結婚に猛反対し、会うことはもちろん、文通も禁止、今までに交わした手紙も返却させました。その様な中でふたりは友人の助けを借りて何とか文通し相談して、ヴィークに対してどうにかして結婚の許可を得ようとしましたが、状況は益々悪化するばかり。やがてヴィークの妨害、誹謗中傷はローベルトだけではなく実の娘のクララにも及ぶ様になりました。そんな1838年末にクララはドイツ以外の国での演奏会を思い立ち、パリに行くことを計画します。それまで疑いも無く優れたピアノ教師であり、卓越したコンサートマネージャーであったヴィークはしかし同行を拒否し、まだ20才にも満たない実の娘を異国に旅立たせます。それは事実上の父の家からの追放でした。
クララは1839年1月8日にパリに向けて旅立ちます。そして8月13日にドイツに向けてパリを離れるまでの間、クララとローベルトは頻繁に手紙の交換をし、ふたりの未来に向けた堅い意思を互いに誓い合いました。それは父との戦いの最終楽章の幕開けでした。パリを旅立つ少し前の6月16日にクララはローベルトから届いた訴状にサインし、父ヴィークに対して結婚の許可を求める訴訟を起こし、その裁判のために8月にパリを旅立ったのです。実の父との裁判を決心し、父を捨ててでもローベルトとの未来を決心した頃に、3つのロマンス作品11は作曲されました。
クララはこの曲をローベルトに1839年7月2日に送りましたが、こう書き添えています。
「これは小さな憂愁をたたえたロマンスです。それを作曲している間、わたしはずっとあなたのことを考えていました。」「あなたはそれをとても自由に、時に情熱的に、そして再び悲しげに、弾かなくてはいけません。わたしはその曲が大変気に入っています。それをすぐに送り返して下さい。その欠点を捜すのに臆病になることはありません。わたしのためになることですから。」
ローベルトはその曲に満足し、何の修正も加えずに7月10日にクララに送り返しました。
「きみのロマンスから、ぼくはまたもや、ぼくらが夫と妻として運命づけられているのを聴き取った。きみは作曲家としてのぼくを完全なものに補ってくれる。ぼくがきみに対してそうしているようにね。きみの楽想のひとつひとつは、このぼくの心から発している。実際のところ、ぼくが自分の音楽すべてに関して感謝しなくてはならない相手はきみだ。ロマンスで変更すべき所はないも無い。この曲はこのままのかたちでなくてはいけない。」(ナンシー・B・ライク著、クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯から引用)
クララの作品は、作品番号10を境としてそれまでの若々しい、可愛らしい、美しいメロディに溢れた曲から、憂愁と陰りのある曲へと楽風が変化しています。おそらく父との確執による辛い経験がそうさせたのでしょう。作品番号11を持つこの曲も、上に引用したふたりの言葉が表しているように、極めて美しく、そして恐ろしいほどに深い愛と憂愁に満ちたメロディで埋め尽くされています。メンデルスゾーンのピアノ曲に無言歌がありますが、この曲はクララの無言歌あるいは哀歌といえるかも知れません。
第一曲の変ロ短調のアンダンテは、遠い所にいるローベルトへの、クララが逢えないことの寂しさを訴える静かな叫び。憂愁に満ちた左手の伴奏の上に、独り言のようなクララの寂しい語らいが右手で遅れて奏でられます。ローベルトへの叫びはやがて過去の楽しい想い出の回顧に変わってゆき、中間部では明るい、楽しい、しかし遠い時間の向こうを想うようなリズムへとうつろいで行きます。しかし想い出はやがて「ああ、あの頃は...」という独り言のようなパッセージで現実に引き戻され、初めの主題〜ローベルトへの叫びに戻ります。曲の最後にはもの悲しい明るさ持った二つの和音が静かに打ち鳴らされますが、それは独り涙に濡れるベッドの中で、ローベルトに「おやすみ」と言っているようです。
第二曲のト短調のアンダンテは、今後の事を思い悩むクララの独り言。大きな不安を表すようなメロディで曲は始まりますが、その中にやがて明るい響きが加わって行き、悩みが希望に変わって行きます。しかしそれは長続きせず、また不安へと引き戻されてしまいます。この不安と希望の交錯はだんだん希望が大きくなって行き、中間部では明るい響きが大勢を占めるようになり、安堵感すら漂い出します。しかしそれも束の間、大きな不安がまた戻ってきて、最初の主題に戻って行きます。最後はまた少し明るいメロディに戻り曲が終わりますが、この部分は「きっとどうにかなるよね、大丈夫だよね、ローベルト」とクララが独りつぶやいているようです。
第二曲;Andante in G minor冒頭部分譜例
森潤子校訂 クララ・シューマンピアノ曲集(音楽之友社)より
第三曲の変イ短調のモデラートは、ローベルトとの再開、そしてふたりの語らい。最初は再開を喜ぶような静かな、明るいメロディ。クララがローベルトに挨拶し、そして静かに緩やかに語らい始めたかの様な響きです。それは突然、今までの苦しみを思いだして彼の胸の中で涙を流したかのような暗いメロディに変調しますが、愛する彼とふたりのクララにとってその涙はすぐに喜びに変わり、すぐにまた明るいメロディに戻って行きます。やがて会話が進んで行くと、今後のことを思うかのように話題は深刻になり、中間部は憂いのあるメロディが多くなります。でもその暗さの向こうには常に希望の支えがあり、語らいは終始おだやかで、ヒステリックになることが有りません。やがてふたりの語らいの結論は明るい、希望に満ちた決心へと変わり、静かな明るい和音で曲が終わります。
これが私の耳で聴いた作品11の印象です。
この曲は、かの前田昭雄先生もエレーヌ・ボスキ盤のCDライナーノーツで解説されているので、紹介しておきます。
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第一曲 変ロ短調 音の綾織りがシューマネスクで、表現は内向的な性格的短章。
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第二曲 ト短調 チェロに歌わせたいような旋律が主導する。チャイコフスキーのような表現。高く低く現われるいろいろなメロディの色合いがシンフォニックに映える。
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第三曲 変イ短調 憧れのフィギュレーション。わずかにセンティメンタルかもしれないが、悪いとはいえまい。ショパンにだってそれはあろう。これはクララの若き日の乙女のうた。
(1999.8.6.)
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