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※曲目のデータなどは、ナンシー・B・ライク著「クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯・高野茂 訳」をベースに作成し、手持ちのCDの解説を参考にして補填しました。
スケルッツォ 第二番 ハ短調 作品14
Deuxieme SCHERZO pour le Piano
(ピアノの為のスケルッツォ第二番〜初版の表題に記されたタイトル)
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作曲年;1844? (1840-1845)(25才頃?)
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初演;不明
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出版年;1845年の初め(25才)
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献呈者;トゥータイン夫人
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自筆譜の所在;不明
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演奏時間; 4'21" (Konstanze Eickhorst盤)
この曲の作曲年ははっきり分っていませんが、おそらく1844年ではないかと考えられています。1845年1月9日付けのローベルトからブライトコップ・ウント・ヘルテル社への手紙の中に「妻がスケルッツォ(作品14)、四つの小品(作品15)、即興曲(作品番号無し、1885年に出版)を作り上げた」と書いています。作品14と作品15はこの手紙の後ですぐに出版されました。
この曲が作曲された1840〜1844年はクララにとって一番幸福な時期だったと思います。結婚を巡る父との争いに裁判で勝ってローベルトと結婚し(1840.9.12)、長女マリー(1841.9.1)、次女エリゼ(1843.4.25)を相次いで産みました。そして何よりもこの時期はローベルトの病状が軽く、彼の創造性が最高潮に高まった時期でした。1840年を「歌曲の年」1841年を「交響曲の年」1842年を「室内楽の年」と呼び、ローベルトの代表的名作の多くがこの時期に作曲されたことは御存知の通りです。
しかし大きな幸福の中にも小さな不満がクララにはあったようです。ローベルトが作曲に没頭している間は彼の仕事の邪魔にならないように、クララは作曲はもちろん、コンサートピアニストとしての日頃の練習も遠慮したのです。ですからクララはローベルトの外出中の寸暇を惜しんで作曲とピアノの練習をしていたとのことです。この曲もきっとその様な寸暇の中で作曲された物と思われます。
この曲のオープニングはとても壮麗でドラマティックです。コンサート受けしそうな華やかさに満ちています。私の個人的感覚では、岩場に打ち寄せる波の様な印象のメロディです。そして中間部は嫋やかなメロディ。岩場の波から一転して、凪の時の砂浜のさざなみのような、静かで優しい和音の上下運動。最後はまた元の主題に戻ってドラマティックに曲を終えます。
ハ短調のオープニング部分は1841年にクララが作曲し、ローベルトとの共作として出版されたF.リュッケルトの「恋の春」からの12の歌
(ローベルトの作品番号37、クララの作品番号12)の第二曲「彼はやってきました」のピアノ伴奏と殆ど同じです。また中間部の優しいメロディはローベルトが1840年に作曲した詩人の恋作品48の第15曲「昔の童話より」から引用されています。これらまさしくこの曲が幸福の絶頂の歌曲の年以後の産物であることを示しています。
作品14譜例(出典;Barenreiter BA6556)
冒頭 |
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中間部冒頭 |
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