パート1:(1)〜(5)の場所(1850年9月-1852年8月)
(1) ケルン・ミンデナー駅

 1850年9月2日にシューマン一家が到着した際にここで歓迎祝賀を受けた。現住所はGraf-Adolf-Strasse 16付近。

現在ここは市内中心部のビル街になっていて駅は無く、昔それがあったという標識もありません。デュッセルドルフにありながら「ケルン・ミンデナー駅」というのも不思議ではありますが(ケルンは別の都市なので)、しかし当時はデュッセルドルフの代表駅だった様です。現在はデュッセルドルフ中央駅として東に1.5km離れた場所に移転して営業しています。


(2) ホテル・ブライデンバッヒャーホーフ

 デュッセルドルフに移ってきたシューマン一家が暫く滞在したホテル。現住所はKoenigsallee 11。

ブライデンバッヒャーホーフホテルは現在でも営業しています。当時から建て替えられているとは思いますが、現在は大きくて立派なビルになっています。このあたりが市内でも一番賑やかな場所です。

ホテル玄関のサインです。



(3) 1850年9月10日から1851年6月30日までシューマン一家が暮らしたアパートのあった場所。

 当時の住所はAlleestrasse 782、現住所はHeinrich-Heine-Allee 44。

現在はTrinkaus&Burkhardt銀行になっているとのことで、その文字を探したら簡単に見つかりました。ブライデンバッヒャーホーフホテルの南隣になる大きなビジネスビルがその場所です。当時のアパートの面影を語る物は何もありません。

ビル正面のサインです。



(4) 1851年7月1日から1852年4月15日まで住んだ新しいアパートのあった場所。

 60名を収容できた音楽サロンがあり、薔薇の巡礼を上演した。当時の住所はKastanienallee 252, 3、現住所はKoenigsallee 46。

その場所はデュッセルドルフ一番の商業地域「ケーニッヒスアレー」にあります。川沿いに高級ブティックやショッピングセンターが軒を連ねています。

現在はパフラート画廊との事で、その文字を探しました。このビルの右半分がパフラート画廊です。

画廊の看板

そして画廊の内部です。


(5) 1852年4月15日から同年8月11日まで住んだアパートのあった場所。

 現住所はHorzogstrasse 15。


川嶋さんの論文に掲載されている地図の欄外にあったので、訪問当日はその場所を見つける事が出来ませんでした。


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