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デュッセルドルフ・ビルカー通り
(1998年6月取材)

ビルカー通りはデッュッセルドルフで一番賑やかなの繁華街、ケーニッヒスアレーから西に歩いて5〜10分程の所にある小さな南北の通りです。
ビルカー通りは、クララ&ローベルトゆかりの地であり、半径30mぐらいの中にクララ&ローベルトが暮らした家、ローベルト・シューマン協会、クララ・シューマン音楽学校が建ち並んでいます。むしろシューマン通りと名づけた方が良いと思われます。ローベルトが投身自殺未遂を計ったライン川まで歩いて5分ほどで行けます。


ローベルト・シューマン協会

ビルカー通りを北から南に向かって歩くと最初に辿り着くのが、ローベルト・シューマン協会です。右の写真は南側から北方向に向けて撮影しています。入口にはローベルトの見慣れた肖像を刻んだ銅板、それとクララとローベルトの円形のレリーフが壁面に埋め込まれています。



クララ・シューマン音楽学校

ローベルト・シューマン協会の斜向かいにあるのが、クララ・シューマン音楽学校。普通の家のドアの脇にプレートが貼ってあるだけなので、直ぐには気づきません。左の写真の二軒奥側の白い家が、クララとローベルトが共に暮らした家です。


       

ローベルト&クララが最後に共に暮らした家


クララとローベルトが共に暮らし、共に音楽を作り、共に奏でた家です。1853年9月30日にはまだ20才の金髪の好青年ヨハネス・ブラームスが、この家のドアを叩きます。あいにくその日は夫妻は不在で、歴史的な出合いは翌10月1日となりました。ブラームスが一階の音楽室でローベルトの前で自分の作品を弾き出すと、ローベルトは感激してブラームスの演奏をを制止し、階上へクララを呼びに行きました...

この家には右下の写真のようなプレートが貼ってあります。1854年2月27日にローベルトはライン川に投身自殺をはかり、3月4日にボン郊外にあるエンデニッヒの精神病院に送られました。その日を最後の日としていますが、クララはその後も引き続き子供たち、そしてブラームスと共にこの家で主人の帰りを待ち続けたのです。

この家の窓を見ていると、この窓からクララが何を見て、何を考えていたのだろう?と思いを馳せてしまいます。また、窓の奥からクララの奏でるピアノが聞こえてくるような気がします。

この家に住んでいた。
ローベルト&クララシューマン。
1852年9月1日から1854年3月4日まで。


2005年6月取材分のビルカー通り

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