ローベルト&クララが最後に共に暮らした家
クララとローベルトが共に暮らし、共に音楽を作り、共に奏でた家です。1853年9月30日にはまだ20才の金髪の好青年ヨハネス・ブラームスが、この家のドアを叩きます。あいにくその日は夫妻は不在で、歴史的な出合いは翌10月1日となりました。ブラームスが一階の音楽室でローベルトの前で自分の作品を弾き出すと、ローベルトは感激してブラームスの演奏をを制止し、階上へクララを呼びに行きました...
この家には一番下の写真のようなプレートが貼ってあります。1854年2月27日にローベルトはライン川に投身自殺をはかり、3月4日にボン郊外にあるエンデニッヒの精神病院に送られました。その日を最後の日としていますが、クララはその後も引き続き子供たち、そしてブラームスと共にこの家で主人の帰りを待ち続けたのです。
この家の窓を見ていると、この窓からクララが何を見て、何を考えていたのだろう?と思いを馳せてしまいます。また、窓の奥からクララの奏でるピアノが聞こえてくるような気がします。
この家に住んでいた。
ローベルト&クララシューマン。
1852年9月1日から1854年3月4日まで。
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