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クララ・シューマン関連写真集

Leipzig
クララ生誕の地、ライプツィヒ訪問・写真旅行記
(2007/6取材)
2007年6月30日にクララが生まれ育った街、ドイツ・ライプツィヒを 日帰りで訪問しました。シェーネフェルト記念教会、シューマンハウス、 聖トーマス教会、クララの家の跡などを訪問。その様子を100枚以上の 写真で御覧頂けます。


こちらはお客様のSさんに写真を頂いて作成した写真集です。

シェーネフェルト記念教会
ライプツィヒにあるクララとローベルトが挙式した教会です。 このページはクララの記念日に向けて特別な思い入れを込めて作りました。


インゼル街の新居
ライプツィヒにあるクララとローベルトの結婚直後の住まいです。


聖トーマス教会
ライプツィヒにあるバッハがカントールを務めた教会です。 クララやローベルトとの関係が分りますか?

Düsseldorf
デュッセルドルフゆかりの場所巡り
(2009/11取材)
クララとローベルトが1850年9月2日にデュッセルドルフに転居してから、 1857年9月末にクララがベルリンに転居する迄に夫妻が関係した 11の場所について写真で紹介しています。


デュッセルドルフ・ビルカー通り
(2005/6 & 2007/7取材)
クララとローベルトが最後に暮らした家を2005年6月に再訪し、 より多くの写真を撮影してきました。
クララ・シューマン音楽学校、ローベルト・シューマン協会は移転していました。
2007年7月にも再訪し、写真を6枚追加しました。


デュッセルドルフ・ビルカー通り
(1998/6取材)
クララとローベルトが最後に一緒に暮らした家があります。 その家の二軒となりは「クララ・シューマン音楽学校」、 その向いは「ローベルト・シューマン協会」です。

Bonn
ローベルト&クララ・シューマンの墓
(2007/7取材)
ドイツ・ボン市にあるお墓に、2007年7月1日に再訪しました。
お墓の雰囲気を感じられるような写真を集めています。


ローベルト&クララ・シューマンの墓
(1998/6取材)
クララとローベルトが眠る、ドイツ・ボン市にある美しいお墓です。


ボンのシューマンハウス
(2007/7取材)
1856年7月29日にローベルトはエンデニッヒの精神病院で亡くなりました。 その病院跡がシューマンハウスとしてシューマン夫妻の遺品と共に公開されています。 生憎訪問した日は休館日だったので、シューマンハウスの外観写真を掲載。

Baden-Baden
バーデンバーデン・リヒテンタール散策
(2009/11取材)
1863年から1873年にかけて、クララ一家が夏を過ごした別荘地 バーデンバーデン市リヒテンタールを2009年11月15日に訪問しました。
ブラームスも1865年から1874年まで同地に移り住み、 その家は現在ブラームスハウスとして公開されています。

0; スタートページ
1; ブラームスハウス
2; クララの別荘跡
3; リヒテンタールアレー散策

Frankfurt
フランクフルト・ミリウス街32番
(2008/9取材)

クララが晩年の1878年9月から亡くなる1896年5月20日まで住んだ家があります。 現在は一般住居で中に立ち入る事は出来ません。美しい白壁の家です。


その他
クララが愛用したピアノ
グロトリアン スタインヴェーグ No.3306

クララの愛用したピアノが、東京・目白のフォーシーズンズホテル椿山荘・東京のロビーラウンジ「ル・ジャルダン」にありました。そのピアノと演奏風景です。
※残念ながら2006年1月末でピアノが撤去されました。


100ドイツマルク紙幣と80ペニッヒ切手
クララの肖像が使われています。


クララのマグカップ
ドイツマルク紙幣をデザインに使ったマグカップで、クララの肖像もあしらわれています。 100円ショップのダイソーで見つけました。


ドイツ特急「IC911 クララ・シューマン号」の経路表示板
ドイツ鉄道の都市間特急列車 IC911 Clara Schumannの車両のドア脇に表示される経路表示板です。

謝辞
  • ライプツィヒの写真(シェーネフェルト記念教会、聖トーマス教会、インゼル街の新居)はサイトのお客様のSさんに写真を提供頂いたお蔭で作ることが出来ました。
  • グロトリアン スタインヴェーグ No.3306の撮影には、フォーシーズンズホテル椿山荘・東京の営業企画課の方に格別のご配慮を頂きました。


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