デュッセルドルフゆかりの場所巡り
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尚美学園大学・芸術情報学部・音楽表現学科教授の川嶋ひろ子さんは、クララ・シューマンの研究家でもあり、クララに関する論文を多数発表されています。その内で「クララ・シューマン --現地調査に見る活動の軌跡--」(2004年12月、尚美学園大学芸術情報学部紀要第6号)【→PDFダウンロード】では、クララが住んだ14カ所の街を訪問されて、その場所、当時の様子などを調べられています。
その一つの街、ローベルトと二人で最後に暮らしたデュッセルドルフの章では、1850年9月2日に夫妻がデュッセルドルフに到着してから、ローベルトを亡くしクララがベルリンに転居する1857年9月末までに関係した14カ所の建物や場所などを地図と共に説明されています。先ずはその内容についてご紹介しましょう。


デュッセルドルフ市街地の地図です。川嶋さんが調べられたシューマン夫妻ゆかりの場所は赤い枠で囲った、ライン川沿いの地域に点在しています。

ここをクリックすると同じ場所のGoogle Mapが開きます。

数字の場所がシューマン夫妻が関係した場所で、数字の順番は概ね時系列になっています。川嶋さんの論文を引用しながら(1)から(14)までの場所について簡単に説明しましょう。(一部の住所等は最新ドイツ語資料とGoogle Map住居表示をベースに加筆修正してあります。丸数字は機種依存文字でPCにより正しく表示されませんので、説明文ではカッコ付き数字にしています。)

(1) ケルン・ミンデナー駅。1850年9月2日にシューマン一家が到着した際にここで歓迎祝賀を受けた。現在ここに駅はなく、デュッセルドルフ中央駅として1.5kmほど東に移動している。現住所はGraf-Adolf-Strasse 16付近。

(2) ホテル・ブライデンバッヒャーホーフ。デュッセルドルフに移ってきたシューマン一家が暫く滞在したホテル。現住所はKoenigsallee 11。

(3) 1850年9月10日から1851年6月30日までシューマン一家が暮らしたアパートのあった場所。現在はTrinkaus&Burkhardt銀行。当時の住所はAlleestrasse 782、現住所はHeinrich-Heine-Allee 44。

(4) 1851年7月1日から1852年4月15日まで住んだ新しいアパートのあった場所。60名を収容できた音楽サロンがあり、薔薇の巡礼を上演した。現在はパフラート画廊。当時の住所はKastanienallee 252, 3、現住所はKoenigsallee 46。

(5) 1852年4月15日から同年8月11日まで住んだアパートのあった場所。現住所はHorzogstrasse 15。

(6) 1852年9月1日から1855年8月6日(ローベルトは1854年3月4日)まで住んだアパート。現在はシューマン協会が入っている。このサイトでも繰り返し紹介している、ローベルトが最後に住んだ家です。当時の住所はBilkerstrasse 1032、現住所は15。

(7) 1855年8月6日から1857年9月までクララと子供達が住んだアパート。ブラームスも同じアパートの一階に住んだ。当時の住所はPoststrasse 1315、現住所はHaroldstrasse 14/Poststrasse 32。

(8) キュルテンシャー・ザール。クララはこのホールでたびたび演奏会を行った。当時の住所はBerger Strasse、数字のある場所の現住所はWallstrasse 6。

(9) ガイスラーシャー・ザール。1852年8月にローベルトによる大合唱祭が開催された。それ以外にもコンサートを開催。当時の住所はFlingersteinweg、現住所はSchadowstrasse。

(10) シッフス船橋。ローベルトが投身自殺を図った場所。

(11) ベンデマン夫妻の家のあった場所。クララはデュッセルドルフを離れた後でもこの夫妻を訪ねて、演奏旅行の拠点とする事が多かった。現住所はJaegerhofstrasse 7

(12) ロザリー・レーザー嬢の家のあった場所。盲目のレーザー嬢はクララの友人で、伝記にもたびたび登場する。当時の住所はAlleestrasse 729、現住所はHeinrich-Heine-Allee 48付近。

(13) シューマン記念碑。1956年に建立。カール・ハルトゥンク作。ホーフガルテン内。

(14) クララとローベルトの記念板。ケー画廊に保存されている。現住所はKoenigsallee 60。

川嶋さんの論文を拝読してから、デュッセルドルフを再訪した際にこれらの場所を全て巡り歩いてみようと思っていました。その機会は2009年11月14日に訪れましたが、晩秋のドイツは日没が早いことをすっかり失念して、デュッセルドルフ中央駅に到着したのが午後3時過ぎ。それから日没までの1時間半ぐらいの間に巡り歩かなければなりませんでしので、時間切れで訪問できなかった場所もあります。それでは以下の、または左側のリンクから各場所の写真をご覧下さい。


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Part1 (1)〜(5)の場所(1850年9月-1852年8月)
Part2 (6)〜(10)の場所(1852年9月〜1857年9月)
Part3 (11)〜(14)の場所(友人宅、記念碑など)

2010年9月13日、クララ191才の誕生日に更新


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