パート3:(11)〜(14)の場所(友人宅、記念碑など)
(11) ベンデマン夫妻の家のあった場所

 クララはデュッセルドルフを離れた後でもこの夫妻を訪ねて、演奏旅行の拠点とする事が多かった。現住所はJaegerhofstrasse 7

この場所も今回巡り歩いた場所から離れていて、時間切れで訪問出来ませんでした。


(12) ロザリー・レーザー嬢の家のあった場所

盲目のレーザー嬢はクララの友人で、伝記にもたびたび登場する。当時の住所はAlleestrasse 729、現住所はHeinrich-Heine-Allee 48付近。

ロザリー・レーザー嬢は盲目の女性ですが、ローベルトが自殺を図った際には動転するクララを援助した他、常にクララの心の支えとして活躍した友人です。彼女の住んでいた場所は、(3)シューマン一家が最初に住んだアパートの場所の斜向かいにあり、現在は大きなショッピングビルになっていました。

ビルの一階のウィンドウの情景です。


(13) シューマン記念碑

1956年に建立。カール・ハルトゥンク作。

ホーフガルテンの南端にシューマン記念碑は建っていました。

ローベルトの頭部ブロンズに、月桂樹が右に添えられています。

振り返れば池があり、小鳥や水鳥たちが遊ぶ綺麗な公園です。


(14) クララとローベルトの記念板

ケー画廊に保存されている。現住所はKoenigsalle 60。

川嶋さんの論文に従ってケー画廊にも行ってみました。直前に訪問したパフラート画廊がビルの一角の小さな店だったので、似たようなお店かと思いきや、そこは街の1ブロックを完全に覆い尽くす超大型ショッピングセンターでした。この写真が川嶋さんの論文に示されていた西の入り口です。奥行きは100m以上あります。

西の入り口の頭上のサイン。このショッピングセンターの中を探し回りましたが、シューマン夫妻の記念板を見つける事は出来ませんでした。案内所の人にも聞いてみましたが、知らないとのこと、、

シューマン夫妻の記念板で唯一思いつくのはこのプレートです。これは現在(6)でお見せしたシューマン夫妻が最後に住んだ家の門に付けられていますが、これはブロンズの複製で、オリジナルは陶器でライプツィヒのシューマンハウスに所蔵されている事になっています。従ってケー画廊にどのような記念板が保存されているのか、あるいは「いたのか」は不明です。


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