パート2:(6)〜(10)の場所(1852年9月〜1857年9月)
(6) 1852年9月1日から1855年8月6日(ローベルトは1854年3月4日)まで住んだアパート。

 現在はシューマン協会が入っている。当時の住所はBilkerstrasse 1032、現住所は15。

デュッセルドルフのシューマン夫妻が住んだ家として有名で、ほぼ完全な姿で保存さています。他のページでも詳しく紹介していますので、簡単に外観写真をお見せしましょう。

建物の裏側、中庭側からの姿です。この中庭は奥のアパートへの通路にもなっています。


(7) 1855年8月6日から1857年9月までクララと子供達が住んだアパート。

ブラームスも同じアパートの一階に住んでいました(!)。当時の住所はPoststrasse 1315、現住所はHaroldstrasse 14(建物の住所、玄関は南側)またはPoststrasse 32(建物の西側面の住所、ブラームスのプレートはこちらにある)。

シューマン夫妻の家のあるビルカー通りから1ブロックしか離れていない場所に、その建物はありました。

ここにブラームスが住んでいたというプレートです。



(8) キュルテンシャー・ザール

 クララはこのホールでたびたび演奏会を行った。当時の住所はBerger Strasse。

これが地図で指し示された場所にあった唯一の大型の建物で、何処にも名前がありませんがホールのようにも見えました。帰宅後に調べたらこの建物はBerger Kirche(ベルガー教会)だそうで、現在でも時折コンサートが開催されています。これが当時キュルテンシャー・ザールと呼ばれたのか、あるいは別の建物があって既に現存していないのかは不明です。第二次大戦で焼失したそうで、この建物は戦後に建築されました。建物の住所はWallstrasse 6ですが、教会敷地の入り口はBerger Strasse側にあり資料の住所と一致します。とても狭い道沿いにあった建物なので、広角レンズを使ってもこの範囲しか写せませんでした。


(9) ガイスラーシャー・ザール

1852年8月にローベルトによる大合唱祭が開催された。それ以外にもコンサートを開催。当時の住所はFlingersteinweg、現住所はSchadowstrasse。

今回訪問した地域からかなり離れていたので、時間切れで訪問出来ませんでした。但しストリートネームまでしか分かりませんので、具体的な場所は不明です。



(10) シッフス船橋

1854年2月27日、ローベルトが投身自殺を図った場所。

ライン川沿いは出店のある観光地になっていて、今までどのあたりでローベルトが投身自殺を図ったのか分かりませんでしたが、川嶋さんの論文が示す場所がここです。

当時の桟橋が残っている筈もありませんが、現在それらしき物と言えば船の乗降に使うこのような小さな桟橋があります。

同じ位置で振り返れば、もう一つの桟橋もありました。向こうに見える橋はオーバーカッセル橋です。
側には教会もあり、アルトシュタットという古い街並みの繁華街(飲み屋街)から近い場所です。


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