デュッセルドルフ・ビルカー通り
(2005年6月&2007年7月取材)


クララとローベルトが最後に暮らした家のあるビルカー通りを2005年6月に再訪して、より多くの写真を撮影してきました。更に2年後に再訪した2007年7月取材分と合わせて、5ページに渡り写真を掲載しています。

目次

シューマン夫妻が最後に住んだ家

シューマン夫妻の家の中庭

ビルカー通りの情景

クララ・シューマン音楽学校跡と
夫妻宅の真正面のショーウィンドウ

ローベルト・シューマン協会の
部屋とライン川(2007年7月取材)


シューマン夫妻が最後に住んだ家

シューマン夫妻が最後に住んだ家の全景です。壁にホームベースの様なプレートが埋め込まれた家がそれです。
家の正面の情景です。門の右側の柱にはシューマン夫妻のレリーフが埋め込まれています。
壁に埋め込まれたプレートです。ローベルト&クララ・シューマンが1852年9月1日から1854年3月4日までこの家に住んでいた、という意味です。最後の日はローベルトがエンデニッヒの精神病院に入院した日で、クララとその子供たちはその後1857年9月末までこの家に住み続けました。
現在この建物の1F右半分には、陶器の人形屋さんが入っているようで、ウィンドウにはこの様に女性の人形が道行く人達に挨拶をしています。
(左の写真)この日は門が開いていて、中庭の情景が見えました。
(右の写真)右側の柱に埋め込まれた夫妻のレリーフです。その下に有るプレートには
Robert Schumann
zum 175 Geburtstag am 8. Juni 1985
Robert-Schumann-Gesellschaft e.V.
Dusseldorf
と記載されています。ローベルトの175回目の誕生日の1985年6月8日までローベルトシューマン協会が此処に有った、という意味ですが、その後入居していた斜向かいのビルから最近また此処に移転したようです。
門を入って振り返った情景です。建物の構造がシューマン夫妻が住んでいた頃と同じかどうかは分りませんが、もし変わっていないとすれば、右側のドアがこの建物のメインの入り口になります。1853年9月30日にヨハネス・ブラームスがヨアヒムの紹介状を持ってシューマンを訪問した際に叩いたドアは、このドアという事になります。

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