パート9:クララの育った家の跡

2007年6月末にライプツィヒを訪問するにあたって、クララの生まれ育った家が何処にあるのか、様々な文献やネット上のページを調べてみましたが、確たる情報はありませんでした。その中でカトリーヌ・レプロン「クララ・シューマン、光に満ちた調べ」には『ノイマルクト広場の百合の花の家』と、最も具体的な記述がありました。しかし現在の地図を幾ら探してもノイマルクト広場はありません。マルクト広場ならトーマス教会の裏側にあるので、19世紀にノイマルクト(新市場)広場は20世紀になって「新」が取れてマルクト広場になったのかも?とも考えました。丹念に調べたところ、ライプツィヒの地名の中で唯一「ノイマルクト」が残っていたのは、道の名前でした。

ライプツィヒ滞在可能時間が1時間足らずになった時に、私は同行していた知人と別れて、一人ノイマルクト通り方面を速足で歩いてみる事にしました。そしてNeumarkt通り/Reichs通り/Grimmaische通りの交差点でいきなり目に飛び込んできたのが、マイセンで作られた綺麗なプレートでした。そう、ここにクララは住んでいたのです。


付近の拡大地図です。トーマス教会とゲヴァントハウスの丁度中間部で、街の中心マルクト広場から二つ筋違いになります。伝記に出てきたノイマルクトは、クララの家の南側の道路名として残っています。
これが、ここにクララが住んだ家があった事を示すプレートで、何とマイセン製です。この文章によれば、現在の建物の一つ前の「SELLIERS HOF」と呼ばれる建物に、1825年(6才)から1835年(16才)までクララがここに住み、1830-1831年の間はローベルトも同居していたとあります。クララが1819年に生まれた時の家、また1835年から1840年に結婚するまでの家は別の場所にある事になります。
プレートの貼られていた建物の全景です。プレートは建物の右下正面に写っています。この写真の右手前方がReichs通り、カメラマンの後ろ側がNeumarkt通り、左右がGrimmaische通りです。
建物ごしにReichs通りを眺めた情景です。建物の1階はお店になっています。
同じく、交差点からReichs通りを眺めます。
クララの住んでいた建物(跡地)の正面の建物に貼られている「Neumarkt」のプレートです。
クララの家を背にして、交差点からNeumarkt通りを眺めた情景です。
建物の1階のお店の入り口から中を見たところです。玩具、お土産を売っているお店のようです。
お店のショーウィンドウです。


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