ホームに戻る

ロマンス・ヴァリエが日本で響いた日

「一番好きな曲は?」と聞かれたら、「クララ・シューマンのロマンス・ヴァリエ・作品3」が私の答えです。ローベルト、ブラームス、そしてクララ自身が認めたクララの象徴であり、若きクララ自身が音符の中に宿っている曲で、Jozef de Beenhouwerによるクララのピアノ独奏曲全集の解説(ここ)にもその様に書いています。しかしこの曲はCD録音も極めて少なく、2007年7月にSusanne Grutzmannによるクララのピアノ独奏曲全集が発売されて、やっと史上4つめの録音です。
クララの曲がコンサートに採り上げられる頻度はここ10年ぐらいで少しづつ高くなってきましたが、依然として「オマケ」の印象が強く、長年あらゆる種類のクララ関連の情報に接してきていますが、クララだけのコンサートは記憶にありません。また採り上げられる曲目も「ローベルト・シューマンの主題による変奏曲・作品20」「ピアノトリオ・作品17」「ヴァイオリンとピアノの為の三つのロマンス・作品22」あたりの「クララ後期作品」が多く、初期の作品が採り上げられることは殆どありませんでした。

それがなんと!!、2007年5月にこんな情報が寄せられました。


女性作曲家音楽祭2007

「ピアノ曲マラソンコンサート(4)〜ドイツの作曲家達」

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル
ピアノ曲集「一年」
ピアノ:武久源造

クララ・ヴィーク(=シューマン)
4つの性格的小品 op.5
ロマンスと変奏 op.3
 音楽の夜会 op.6
ピアノ:森下唯

日時:2007年8月9日(木) 11:00〜13:00 (開場10:40)
会場:杉並公会堂・小ホール
料金:1000円


クララのロマンス・ヴァリエ・作品3、四つの性格的小品・作品5、音楽夜会・作品6が日本で公開演奏されたとは今まで聞いた事がありません(*最下段の注釈参照)。また私のプロフィールを御覧頂ければ分るように、好きな作曲家の1番がクララであるのは勿論ですが、ファニーはブラームス(や圏外のベートーベン、ショパン等)を抑えて4番目に好きな作曲家です。ファニーの発売されているCDもクララ同様に殆ど持っています。こんな私が今回のファニーとクララのコンサート情報に触れたら、どうするでしょう?

(答え→)早速チケットを入手し、その日の広島〜羽田の往復航空券も予約しました。

ひょっとしたら日本初の、従って当然生まれて初めての、クララの若き日の作品の生演奏に触れる。それはそれは心躍る出来事で、その日を首を長くして待ち望んでいました。

そして待ちに待った8月9日になりました。朝5時半に起きて自宅からクルマで広島空港に行き、始発の飛行機(JAL1600便)で羽田へ。

羽田到着後はそのまま荻窪まで鉄道を乗り継いで、杉並公会堂に着いたのが開演15分前の10時45分。会場は100名ちょっとが定員の小さなホールで、私が着いた頃には空席が目立ったのですが、開演迄には満席になりました。

11時になり、コンサートが始りました。前半は武久源造さんによるファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルのDas Jahr(一年)です。武久さんは目の不自由な方で、付添の方に連れられてピアノの所に来ましたが、ピアノに座るなり、目の不自由さを全く感じさせない見事な演奏を始められました。最初の「1月」の音がスタインウェイから小さなホール全体に流れると、CDでは経験出来ない素敵な音によるファニーの音楽に包まれて、私の至福の時間が始まりました。武久さんの演奏は情感と起伏に富んだもので、男性らしい力強さを時々見せてくれます。「2月」「3月」と弾き進み、一度「7月」と「8月」の間に休憩を挟まれて、1時間に及ぶ大曲を見事に演奏されました。

15分の休憩の後で、後半のクララの部が始まりました。ピアニストは森下唯さん。とてもお若い方ですが、最初の曲目の四つの性格的小品・作品5、第1曲魔女の狂宴が始まると私は舌を巻いてしまいました。なんという上手さ!技巧に富んだこの曲を速いテンポで、全くミスタッチもせず、タッチが荒々しくなる事もなく、一つ一つの音をきちんと弾き分けて、見事な情感を織り込まれています。これまで何度もこの曲を聴いてきましたが、これほどの作品5は聴いた事がありません。スタインウェイの芳純な音に包まれながら、夢中で第2曲、第3曲と聴き進んで行きました。森下さんの見事な腕さばき、指さばきを見ていて、きっと天才少女ピアニストとして売り出し中の15〜16歳のクララの指と腕も、当時この様に鍵盤上で舞っていたのだろうなぁと思いを馳せました。

そしていよいよロマンス・ヴァリエ・作品3の始まりです。序奏ではクララが石造りの家の玄関から出て、ゆっくりと玄関前の石段を降りるのですが、森下さんの序奏で見事に若くて美しいクララが現れました。そしてローベルトやブラームスに愛されたクララのメインテーマ。森下さんは少し速いテンポで主題提示されて、かなり快活なクララ像を描き出されました。テクニックは万全なので、続く変奏ではこの速いテンポでも情感と表現力を失わず、見事に(少しオテンバ気味の)クララを紡いで行かれます。速いテンポのお蔭で、かなりテクニックを要求する曲にも聞えて、この曲を聴いたことの無いピアノを学ばれている方々にも魅力的に響いたと思います。一方のテクニックには無縁の私は、この音楽を聴きながら頭の中で広場を走り回ったり、大人っぽく話をするクララと戯れていました。そして最後のカデンツァとフィナーレを情熱的に迎えて終演。胸が熱くなる10分間でした。

最後はこの日のメインディッシュとなる音楽夜会・作品6です。クララの宝石箱の様なこの曲を、森下さんは今回は標準的なテンポで、色とりどりの音符で紡いで行きます。作品6全曲を通しで演奏するのはCD録音でも少数派ですが、このコンサートでは全曲演奏されるので、ローベルトがノベレッテンやダヴィッド同盟舞曲集で用いたクララのテーマ(それぞれ第2曲ノットゥルノ、第5曲マズルカで現れます)を、ローベルトの音楽と重ね合わせながら、密かに将来の約束をしたばかりの二人の愛に思いを馳せて聴いていました。

3曲合計で約45分のコンサートでしたが、この間クララの音楽だけが芳純なスタインウェイの音で存在し、私にはとても幸福な時間でした。演奏が終わってピアニストが退場し、聴衆も会場を後にする中で、私は暫く椅子に座り、クララの音楽の余韻を味わっていました。

幸運にもコンサート終了後のホールの外で、主催者の谷戸基岩さんとピアニストの森下唯さんに個別にお話出来る機会がありました。私はお二人それぞれに今日の感激をお伝えし、心からのお礼を申し上げて杉並公会堂を後にしました。


注釈:クララの作品3,作品5,作品6の日本初演について

念の為に再度クララのコンサート情報を精査しましたところ、ロマンス・ヴァリエ・作品3は2004年7月に津田ホールで川嶋ひろ子さんによって演奏されています。
四つの性格的小品・作品5全曲は2004年6月21日に澤田まゆみさんによって演奏されたとの記録がありました。また2004年7月に川嶋ひろ子さんによって作品5-1「魔女の狂宴」が、2006年10月4日にイェルク・デムス氏によって作品5-3ロマンスが演奏されています。
音楽夜会・作品6については、第2曲ノットウルノが1999年4月と6月に川嶋ひろ子さんによって、2004年6月21日に澤田まゆみさんによって、2006年9月に埼玉県某市での小規模コンサートで演奏されたという記録があります。

音楽夜会・作品6全曲については演奏情報が無く、今回のコンサートが日本初演と思われます。但し古い情報までは探索出来ていませんので、もし情報を御存知の方があればご連絡下さい。修正致します。


ホームに戻る