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室内楽解説目次
※曲目のデータなどは、ナンシー・B・ライク著「クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯・高野茂 訳」を主に参照し、手持ちのCDのデータを参考にして補填しました。
ピアノ三重奏曲 作品17
TRIO fur Pianoforte, Violine und Violoncello
(ピアノ、ヴァイオリン、チェロの為の三重奏曲 〜初版の表題に記されたタイトル)
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第一楽章;Allegro Moderato
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第二楽章;Scherzo, Tempo di Menuetto
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第三楽章;Andante
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第四楽章;Allegretto
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作曲年;1846年5月〜1846年9月12日(26才)
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初演;不明(当時最もよく演奏されたクララの作品であり、作曲直後に初演されたと思われる。また、Abegg
TrioのCD解説書には1846年10月2日に最初のリハーサルを行ったとの記載あり)
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出版年;1847年9月13日(クララの28才の誕生日。ローベルトのピアノトリオ作品63と同時?)
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献呈者;なし(Streicher TrioのCD解説書には1846年の結婚記念日にローベルトに贈られた、とある)
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自筆譜の所在;ローベルト・シューマン・ハウス(ドイツ・ツヴァイカウ)
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演奏時間;第一楽章 10'57"、第二楽章 5'04"、第三楽章 5'31"、第四楽章 7'34、合計
29'06" (The Dartington Piano Trio盤)
珠玉のようなこのピアノトリオが作曲された1846年は、クララとローベルトにとってあまり良い年ではありませんでした。1846年2月8日にクララは第四子、長男エミールを産みますが、エミールは生まれつき身体が弱く、クララを悲しませました。(エミールは翌年の1847年5月に僅か14ケ月の命を閉じてしまいます。ローベルトはエミールが微笑んだのを見たのはただ一度だけだったと、長男の死に際して語ったそうです)。加えてこの時期はローベルトの容体もとても悪く、度々発作に見舞われていました。クララはエミール、ローベルト、そしてやはり生まれつき身体の弱かった三女ユリーの看病に苛まれる事となりました。
1846年5月にはローベルトの保養のためにライプツィヒからマークセンに出かけ、クララはローベルトの病気の看病に専念しました。更にローベルトの入浴療法の為にマークセンから北海沿岸のノルデルナイ島を訪れた7月には、何とクララが流産をしてしまいます。にもかかわらずクララは家計のために、流産の痛手も回復しないうちに演奏会を開いています。そんな苦難の療養生活からクララとローベルトがライプツィヒに帰ったのは、8月末の事でした。このピアノトリオは1846年5月から9月にかけて作曲されたとありますので、この様なクララの苦難の療養生活、看病生活の中で生まれたことになります。同時にローベルトは交響曲第二番をこの間に作曲し10月に完成させており、二人の苦難の中での音楽的創造力には驚愕するものがあります。
クララのピアノトリオは、当時からクララの最高傑作と言われていた事から伺えるように、苦難の生活など微塵も感じさせないような高い完成度と、クララならではの繊細さ、優しさ、そしてクララとしては異例なまでの雄大さをも併せ持った作品になっています。クララのピアノトリオはローベルトの作曲熱をも刺激し、完成の数カ月後にはローベルトも自分にとって初めてとなるピアノトリオ(作品63)の作曲に着手し、1847年のクララの誕生日(9/13)にクララにプレゼントしています。クララのピアノトリオは1846年の結婚記念日(9/12)にローベルトにプレゼントされていますので、夫婦間で美しいトリオの交換をしたことになります。
クララはいつものように自分の作品(ピアノトリオ)を卑下して「女々しく感傷的」と評し、また直後に完成したローベルトのピアノトリオ作品63の素晴らしさに自分の作品への自信を失ったようですが、しかしこの曲は女々しく感傷的なつまらない作品ではありません。メンデルスゾーン、ブラームス、ヨアヒム、そしてローベルトはクララのピアノトリオを尊敬し賞賛し、演奏会ではローベルトのトリオと共に頻繁に演奏されることとなりました。
曲は4楽章のソナタ形式を採用していますが、この形式を採るのはこの曲と、未出版のピアノソナタ(恐らくはこのピアノトリオ作品17に次いで作品18となるはずだった作品です。クララの作品番号18と19は欠番です。)の二曲だけです。この曲の完成の後には、極めてスケールの大きな本格的なピアノ協奏曲(1847年未完)の作曲にも着手しており、クララの曲風が最も雄大な時期の傑作と言えると思います。
第一楽章、Allegro moderato in G minor
まず冒頭に静かなピアノ伴奏の下でヴァイオリンが主題を奏でます。大人の女性、26才のクララが悩みを語るような、悲しげな単調のメロディです。それをチェロの伴奏でピアノが主題を受けて、ヴァイオリンが呼応側に廻り曲が展開して行きます。次いでピアノが優しく慰めるようなメロディを提示し、それに弦楽器が呼応して明るい話題の談話風景の様なトーンに移行してゆきます。中間部では三者が様々に入り交じり、悲しげなメロディと、それを慰めるような明るいメロディがこの上も無い繊細さをもってドラマティックに展開して行きます。最後に冒頭主題を華麗に変奏してゆき、フィナーレを迎えます。
第二楽章 Scherzo, Tempo di Menuetto in B flat major
冒頭主題はヴァイオリンによる楽しそうに謎かけ話をするような、軽くスキップをするようなメロディです。メロディは全然違いますが、そこに醸し出される人物像は作品2や作品3に出てくる若き10代のクララの様です。伴奏のピアノのスタッカーと、チェロのピッチカートでスキップするような雰囲気を醸し出してます。途中でクララならではの嫋やかで悲しげなヴァイオリンのメロディも出てきますが、まるでチョッピリ意地悪な表情の小悪魔が「わかるかな〜、わからないでしょう?」と自分の謎かけで困っているチェロとピアノを見て笑っているような雰囲気です。中間部ではピアノが司会者側に回り、静かで、優しい、楽しい三人の会話が展開します。
第三楽章 Andante in G major
冒頭主題はピアノが美しい想い出を語るような、嫋やかなロマンスです。それをまずヴァイオリンが受けて、次いでチェロが受ける形で、極めて美しいメロディを奏でてゆきます。中間部は、しかし各楽器がドラマティックに協奏してゆき、感情の振幅の大きな、スケールの大きなアンダンテとなっています。チェロの存在感が他の楽章に比べて大きく、それだけナイーブさと豊かさに満ちた曲になっています。
第四楽章 Allegretto in G minor
第一楽章の主題を変奏したような冒頭主題です。ヴァイオリンが少しヒステリックに(とはいえクララ特有の嫋やかさは保ちながら)早口に悲しげなメロディを語ると、ピアノとチェロもピッタリと寄り添い、ヴァイオリンの語りに同調してゆきます。ついでピアノが少し明るめの主題を提示すると、ヴァイオリンとチェロが柔らかくそれを受けます。中間部はバッハの様なピアノの主題をチェロとヴァイオリンが遅れて変奏する形でフーガを形成しているように聞こえます。フィナーレに近づくと悲愴感は更に高まり、どんどんテンポが早くなって、ドラマティックな三者の協奏がピークを迎えて曲を終えます。
ピアノとヴァイオリンの為の3つのロマンス 作品22
Drei Romanzen fur Pianoforte und Violine
(ピアノとヴァイオリンの為の3つのロマンス 〜初版の表題に記されたタイトル)
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第一曲;Andante molto
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第二曲;Allegretto, mit zartem Vortag
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第三曲;Leidenschaftlich schnell
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作曲年;1853年7月(33才)
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初演;不明(1853年10月にヨアヒムに献呈しており、この時にヨアヒムとクララで演奏されたのではないか?)
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出版年;1855年
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献呈者;ヨーゼフ・ヨアヒム
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自筆譜の所在;ベルリンのドイツ国立図書館、贈呈用のコピー、及び作業用コピー
贈呈用コピーには「気高き音楽家にして友人であるヨーゼフ・ヨアヒムへ」と書かれている。
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演奏時間;第一曲;3'15"、第二曲;2'38"、第三曲;3'42"(Gelius / Krstic盤)
上記を見て戴ければ分るように、この曲の成立には19世紀の天才ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムが深く関わっています。この曲の作曲のきっかけや霊感はヨアヒムがいなければ無かったでしょう。
ヨアヒムは1853年5月15日にシューマン夫妻の住むデュッセルドルフを訪れ、17日にはライン音楽祭で当時まだ余り知られていなかったベートーベンのヴァイオリン協奏曲をローベルトと共に演奏しました。その演奏はまさに圧巻だったそうで、クララは次のように書き記しています。
「ヨアヒムはその夜の圧巻であった。彼は完ぺきな技巧と深い詩的情緒の内に演奏した。一音一音に彼の魂が息づき、私はかつてこの様に理想に近いヴァイオリンの演奏を聴いたことも無いし、またいかなる巨匠からも、このような忘れ難い印象を受けたことも無い。霊感に満ちたこの作品が、いかに素晴らしく、伴奏されたことであろう。管弦楽は聖なる畏敬を感じているかのように思われた。」(原田光子著、真実なる女性・クララ・シューマンより)
その翌日、ヨアヒムはシューマン宅でローベルトのヴァイオリンソナタ第一番イ短調・作品105をクララと共に演奏し、ローベルトを、そしてクララを喜ばせました。その時のクララの日記には..
「この曲がきっとあたえるであろうと、長い間私が感じていたそのままの強い印象を、私は初めて感じることが出来た。今は他のヴァイオリニストを考える事も出来ない。我々はヨアヒムを芸術家としてばかりでなく、人間として愛すべき謙遜な人と知ることが出来た。」(出典、同上)
この様に1853年5月のヨアヒムの来訪は、クララにヴァイオリンの曲を作曲させるに十分な印象と動機を与えた様です。絶対に素晴らしい曲だと信じながら、それまで優れた演奏に恵まれなかった夫のヴァイオリンソナタが素晴らしく響きわたった。丁度そのころ作品20、21をも手がけて作曲熱心であったクララが「ヨアヒムならば私の曲も...」と思っても不思議は無いでしょう。やがて6月8日のローベルトの誕生日を幸せの内に過ごし...(それはローベルトが家族と共に過ごせた最後の誕生日でしたが、それは同時に一番幸せな誕生日でもあったようです)...クララはヴァイオリン曲の作曲に着手しました。
ヨアヒムに強い印象を受けたのは、クララだけでは有りませんでした。ローベルトもまた幾つかのヴァイオリン曲を集中的に作曲しています。1853年8月28日にヨアヒムがシューマン夫妻を再訪しましたが、その直後の9月2日からヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲作品131に着手します。9月7日には作曲が終了し、9月13日のクララの誕生日に、バースディプレゼントであるグランドピアノの上に幻想曲の楽譜が置かれていました。9月23日にヨアヒムがまたシューマン夫妻を訪れた際には、出来たての幻想曲を三度も弾くハメになったそうです。
幻想曲の完成した直後の9月21には、今度はヴァイオリン協奏曲に着手します。そしてこれは10月1日に完成しています。丁度その日はヨハネス・ブラームスがヨアヒムの紹介状を持ってシューマン宅を訪れ、シューマン夫妻と出逢った歴史的な一日でもありました。(多くの伝記には9月30日に会ったと書いてありますが、正しくは9月30日にブラームスがシューマンを訪ねた時に夫妻は外出中で、翌日再訪して出逢いを達成しています)。
ブラームスの登場、そして10月14日のヨアヒム再度の訪問により、更にローベルトはもう一つのヴァイオリン曲に着手します。ブラームス、そしてディートリッヒと共作のFAEソナタです。FAEとはヨアヒムの座右銘の「自由に、しかし孤独に
Frei Arber Einsam」のことで、FAE(ヘイホ)を題材としています。この曲はヨアヒムが再度デュッセルドルフでコンサートを開催した10月27日にヨアヒムに贈られています。しかしローベルトのヴァイオリン作曲熱はまだ留まりません。29日からはFAEソナタの第一楽章と第三楽章(ディートリッヒとブラームスが作曲)を自作に置き換える作業に入り、10月31日にはこれをヴァイオリンソナタ第三番として完成させています。
この様に、1853年5月のヨアヒムのベートーベン・ヴァイオリン協奏曲の名演から10月のヨアヒムのコンサートにかけての5ケ月間、デュッセルドルフのシューマン宅はヴァイオリン・フィーバーとも言える状況になり、そこに集うローベルト、ブラームス、ローベルトの弟子のディートリッヒ、そしてクララがこぞってヴァイオリン曲を作曲しました。その中の一曲がクララの「ヴァイオリンとピアノの為の3つのロマンス・作品22」なのです。10月にヨアヒムに献呈したとありますので、恐らくはFAEソナタと時を同じくしてヨアヒムに贈られた物と思われます。
クララ唯一のピアノとヴァイオリンという編成を持った作品22ですが、可憐な美しさという面でこの編成の曲の中ではピカイチでは無いかと思います。三楽章ではなく独立した三曲からなっており、特にヴァイオリンソナタという形式はとっていません。いずれも3分程度のとても小さくて可愛らしい曲達です。ナンシー・B・ライクの解説によれば、作品22は作品21(ピアノのための三つのロマンス)と殆ど同時に出版されて、いち早く当時の聴衆たちの評判を勝ち得たそうです。また、数年後ハノーファー宮廷に仕えていたヨアヒムはクララにこう書き送ったそうです。「わが君主はこれらのロマンスにすっかり夢中になってしまい、素晴らしい天上的な愉しみをもう一度味わうのを待ちきれないでいます...」
全曲を通じてクララ(ヴァイオリン)とローベルト(ピアノ)が幸せな気分の中で和やかにその日の出来事を語り合っている、という雰囲気で満ち溢れています。ヨアヒムの為に作った曲ですから、男性役はヨアヒムかなぁ?とも考えましたが、第一曲冒頭のヴァイオリンの甘く耳もとで囁くような音色は、親友ではなく、最愛の人との語り合いを想起させます。ただ、こんな印象も演奏によって随分と変わってしまいますので、ヴァイオリンが最も艶かしく、チャーミングに響く演奏といえる、私の一番のお気に入りの、Micaela
Gelius(Pf), Sreten Krstic(Vn) [ARTE NOVA 74321 72106 2] のCDを聴きながら、各曲の印象を記してみようと思います。
第一曲;Andante molto
冒頭はピアノ(ローベルト)のゆったりとした優しい上昇音型で、「今日は何があったんだい?」とヴァイオリン(クララ)に問いかけます。ヴァイオリンはまず同じ上昇音型による色っぽく甘えた声で「そうねぇ..」と答えますが、再度のピアノの問いかけに対して今度は下降音型で話を始めます。それはとても和やかで、幸せと歓びに満ちた会話の様です。話題は決してシリアスなものではなく、今日の散歩で見た光景とか、そんなたわいも無い事でしょう。話が展開して行くと陰りのあるメロディも出てきますが、悲しみとか辛さを語っているのではなくて、クララがいつものようにちょっとセンチメンタルになっただけ。美しく成熟した女ごころの綾の様な物です。それは愛する人への絶対的な信頼の中で揺るぎ無い幸せな響きの中にある、そんな印象を強く感じます。何故なら陰りのある単調のメロディが何度か表れても、曲の冒頭と同じ問いかけるようなピアノのメロディ(つまりローベルトの問いかけ)によって、ヴァイオリン(クララ)がすぐに明るいメロディに変わり、甘えるような語り口に戻って行くことが繰り返されるからです。
...幸福に充ち満ちた美しいロマンス...
第二曲;Allegretto, mit zartem Vortag
今度の話題は心配事のようです。冒頭からヴァイオリン(クララ)が話を始めます。話題は子供の突然の病気でしょうか?しばらくは単調の悲しそうな、悩ましいメロディが続きますが、突然明るい、希望に満ちた、事態が急速に改善して行った様なメロディになります。恐らくはロザリーおばさんがやってきて、子供の病気の手当てをしてくれた、そんな光景が目に浮かぶような長調のメロディです。再度子供の様子を描くような、陰りのあるメロディに戻りますが、冒頭ほどの陰りもなくて、最後に全快に向かっている様子を表すような明るいピッツィカートで、曲が終わります。
第三曲;Leidenschaftlich schnell
夏休みの楽しい旅行計画を話し合っているような、夢に満ちた推進力のある長調のメロディです。ヴァイオリンもピアノも歓びに満ちて、上下に動き回る明るいメロディで絡み合うような協奏を繰り広げます。中間部はヴァイオリンとピアノが交互によいアイデアを語り合うように主役と伴奏が入れ換わる部分が表れます。その互いのアイデアに共鳴しながらまた絡み合うような協奏に戻り、段々とボルテージは高まってきて、ヴァイオリンもピアノも嫋やかさを保ったままでクライマックスを迎えた後、静かに曲は終わります。
この曲については、前田昭雄先生がHelene Boschi盤のCDライナノーツで解説していますので、全文をご紹介します。
クララという女性は、シューマンに愛され、ブラームスに慕われるというしあわせな星のもとにあった。このロマンス、第一曲の初めでそれを思う。シューマンとブラームス、それぞれヴァイオリンソナタの第一番を聴いてみてください。シューマンの憂れわしさ、ブラームスのひと刷け濃い憂鬱、その後で聴くクララのこのロマンスは素敵だ。最良の意味で女性的な魅力に満ちている。
第一曲;変ニ長調 は特に優美な哀愁をひめて、豊かな流れで美しい。大きさは無いが、素直で自然な構想。
第二曲;ト短調 夫シューマンを思わせるファンタジックな色彩は、この第二曲に一瞬ながれる。童話の、森の情景? そう、但しおとなのそれ。
第三曲;変ロ長調 これは明るい柔らかな光のもと、和やかに映えるリリシズム。幸せな時のクララの表情は、さぞや美しかったにちがいない。そんな事を思わせるこのロマンス。
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