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シューマン夫妻の室内楽
伝グラーフ・ピアノによる
浜松市楽器博物館コレクションシリーズ16
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小倉貴久子(フォルテピアノ)、桐山健志 (Vn)、藤村政芳 (Vn)、長岡聡季 (Va)、 花崎薫 (Vc)、笠原勝二 (Cb)
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レーベル;コジマ録音 |
入手性;国内盤 |
CD番号;LMCD-1868 |
お気に入り度;★★★★★ |
録音年月日;2008年3月2日、東京・第一生命ホール 録音;DDD |
資料的貴重度;★★★★★ |
収録時間;64分00秒 |
音質 ;★★★★ |
収録曲
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クララ・シューマン:ピアノ協奏曲・イ短調・作品7(弦楽五重奏伴奏版)
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ローベルト・シューマン:ピアノ五重奏曲・変ホ長調・作品44
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クララ・シューマン:ピアノ協奏曲・ヘ短調・1847年未完(桐山健志氏によるピアノ六重奏曲編曲版)
コメント
初めてのプレイバックで冒頭から終わりまですっかり魅了されて聴き通してしまう様なCDは、私の1300枚のコレクションの中でも指折り数える程しかありませんが、これはその数少ない一枚です。聴き慣れた曲の室内楽版という初めての編成による演奏は、全ての音が新しい発見に満ちていながら、同時に次の音が予感出来るという不思議な感覚をもたらしてくれました。
このCDは2008年3月2日に東京の第一生命ホールで行われたコンサートのライブ録音です。そのコンサートは
レクチャーコンサート
クララ&ロベルト・シューマン 愛、輝きと優しさ
クラヴィーア・アンサンブル◆グラーフのフォルテピアノとともに
と題されて、
2008年2月23日
「博物館レクチャーコンサート/静岡文化芸術大学文化芸術セミナー、静岡文化芸術大学の室内楽演奏会3」 於:アクトシティ浜松音楽工房ホール
2008年3月2日
「TAN's Amici Concert」 於:第一生命ホール
の二回催されました。演奏曲目は
- ローベルト・シューマン:謝肉祭・作品9
- クララ・シューマン:ピアノ協奏曲・作品7(弦楽五重奏伴奏版)
- ローベルト・シューマン:ピアノ五重奏曲・作品44
(アンコール)
- クララ・シューマン:ピアノ協奏曲1847年未完(Josef de Beenhouwer補完、桐山健志氏によるピアノ六重奏編曲版)
の4曲で、このCDにはローベルトの謝肉祭を除いた曲が収録されています。
このコンサートは浜松市楽器博物館所蔵の歴史的なピアノを用いて、ピアノ協奏曲を室内楽編成で演奏する試みの第3回目で、これで完結とのことです。過去にはベートーベンのピアノ協奏曲第四番と、ショパンのピアノ協奏曲第一番が取り上げられまして、何れもCD化されており、浜松市楽器博物館等で購入出来ます。
奏者は、フォルテピアノが小倉貴久子さん。東京芸術大学、同大学院とアムステルダム音楽院を卒業された、素晴らしいコンクール入賞歴の持ち主で、CDも20枚を数えて、フォルテピアノ奏者として大活躍されています。現在は東京芸術大学のフォルテピアノの非常勤講師もされています。ヴァイオリンの桐山健志さん、藤村政芳さん、ヴィオラの長岡聡季さん、チェロの花崎薫さん、コントラバスの笠原勝二さんも東京芸術大学を卒業されて、多方面で活躍されています。各奏者のプロフィールも記載しようかと思いましたが、小倉貴久子さんがご自身のサイトで写真入りで詳しく紹介されていますので、そちらを御覧下さい(→こちら)。
この演奏で使用されているフォルテピアノは、『伝コンラート・グラーフ、1819〜20年?、ウィーン、はね上げ式 80鍵』と表示されています。ライナーノーツに詳しい説明がありますが、要約すれば、『Conrad GRAF in Wien』というプレートがあるが、それ以外の特徴は他に現存するグラーフと一致せず、グラーフ作と断定出来ないが、偽作とも断定出来ないので『伝』をつけたとあります。私にとってはそれよりも、1819〜20年?、の製作年の方に興味があり、そう、クララ(1819年生まれ)とほぼ同い年なのです。誰が作ったにせよ、クララが生まれた時代の音色がこのCDに蘇る事になります。また現代ピアノとの違いをライナーノーツから引用しておけば、『現代のピアノとは異る軽やかなはね上げ式(ウィーン式)アクションで打弦する。弦は平行に張られ、ボディは基本的に木材のみで構成されている。』とあります。この違いが後ほど説明する様に、このCDの音楽の存在感を司っています。
弦楽器については使用楽器の説明がありませんので、恐らく浜松市楽器博物館所蔵ではなく、弦楽器奏者の方が普段使われている楽器のようです。もっとも弦楽器の場合は18〜19世紀の楽器が普通に現代の演奏に使われているので、わざわざ古楽器を持ち出すまでも無いのでしょう。
クララのピアノ協奏曲・作品7は、曲目解説に記載した出版時の曲名に『管弦楽、または五重奏の伴奏付ピアノ協奏曲第一番』とあるように、通常のオーケストラに加えて弦楽五重奏伴奏でも演奏出来るように作曲されています。現在出版されているスコアにも、オーケストラ伴奏以外に弦楽五重奏伴奏とピアノデュオ版があります。しかしCDやレコードで聴く作品7の弦楽五重奏伴奏版はこれが初めてであり、恐らくは世界初録音ではないかと思います(私は知りうる限りにおいて、発売された作品7のCDは全て持っています)。
未完のピアノ協奏曲のピアノ六重奏曲編曲版はこの録音(コンサート)の為に編曲されており、もちろん世界初録音です。
CDプレーヤーの再生ボタンを押して、クララのピアノ協奏曲の序奏が流れると直ぐに新しい発見がありました。オーケストラ版とは異り弦楽器の各パートが一台の楽器でのみ演奏されますので、音が重なって濁ることもなく、また各楽器の弓遣いの微妙な変化がそのまま音楽の表情の変化として響いてきます。室内楽であれば当たり前の事ですが、普段オーケストラでしか聴く事が出来ない曲ゆえに、一味違う表情を見せてくれました。楽器の数が少ないのでオーケストラに比べて響きが質素になる様な気がしますが、CDで聴いているとむしろ各楽器が表情豊かに美しい音色を奏でるので、録音の良さにも助けられてオーケストラ版以上に芳醇な音楽になっています。
そして加わるグラーフのピアノ。現代ピアノと比べると殆ど鳴らず響かず、中低音域はピアノらしい響きを感じるものの、高音域はピアノと言うよりもヴァイオリンのピッチカートを聴いているかのような音がします。こう書くと欠点に聞こえますが、私はこの演奏でピアノが弦楽器である事に気づかされました。グラーフはその構造通り正に弦楽器を叩いた時に出るような音色を持っており、弦楽合奏の中にグラーフが加わると、音色の近似性から見事に溶け合うのです。弦楽五重奏伴奏版ピアノ協奏曲、あるいはピアノ六重奏曲というよりも、弦楽六重奏曲、しかし通常の弦楽六重奏曲にはないグラーフという弦楽器が使われている、と表現すれば想像出来ますでしょうか。現代ピアノとは違って音量が限られている為に、「全オーケストラ vs.ピアノ」「全弦楽器 vs. ピアノ」という力関係が成立せず、グラーフも弦楽六重奏曲の1パートを受け持っている(に過ぎない)かの様な協調性が、より弦楽六重奏曲的な印象を強めています。
これらに加えて、演奏の絶対的な素晴らしさがこのCDを至宝にしています。ヴァイオリンを初め、ひとつひとつの弦楽器が奏でる音楽の表情は本当に豊かで、各奏者のシューマン夫妻の音楽に対する深い共感と理解を感じさせます。そしてヴァイオリンやチェロと同程度の音量しか出せないグラーフを奏でる小倉さんが、本来のピアノ協奏曲の力関係に近づけるべく全力で向かってきます。それを受けた弦楽器陣も全力で返答するという具合で、丁々発止の掛け合い、語り合いの中から見事な音楽が作られています。音の立ち上がりがまろやかで速いパッセージが不得意そうなグラーフですが、小倉さんはスローダウンすることなく見事なテクニックで弾いていますので、歴史的なピアノの演奏を聴いているから、という妥協無しで聴衆側も音楽に立ち向かう事が出来ます。
個別の曲についてですが、クララのピアノ協奏曲・作品7はコンサートで最初の室内楽プログラムとなった為か、その後に続く曲に比べると「丁々発止」度合いの少ない演奏になっています。それでも各楽器から放たれるひとつひとつの音への集中力とそこから生まれる表情の豊かさは絶品で、冒頭から文句無しに楽しめます。普段聴き慣れたピアノ協奏曲との響きの違いは既に述べた通りで、各パートが密接に絡み合いながら、それぞれに存在感と美しさを持った作品7を聴く事が出来ます。
第二楽章のピアノソロと、それに続くチェロとピアノのデュエットも申し分ありません。特にチェロは「ストラディヴァリウス・セルヴェ」を彷彿させるような、重心の低い妖艶な響きを持っていて、豊かな音の表情と併せて作品7の第二楽章のチェロの中でも最も美しい演奏になっています。
ローベルトがオーケストレーションをしたと伝えられる第三楽章は、メンバーの熱が時間と共に高まって行くのが分る演奏で、各パートの美しい響きと、グラーフと弦楽器の絶妙なハーモニーを聴きながら一気にフィナーレまで我を忘れる事が出来ます。
ローベルトのピアノ五重奏曲・作品44は本来の編成で演奏しますが、強奏部では音量の少ないピアノが全力で他の4人に立ち向かう故の、鬼気迫るような丁々発止の掛け合いが見事で、聴いているこちら側が圧倒されてしまいます。音楽は決して荒々しくはなく、グラーフと弦楽器のハーモニーもあって弱奏部では本当にまろやかで、強奏部ではデリケートさの中から情熱の汗がスピーカーを通して飛んでくる、という印象です。この曲も過去何度も聴いている筈ですが(鼻歌で歌えますけど)、このCDの作品44はプレイバックする度に新しい発見があります。
元来ピアノ五重奏、またはピアノ六重奏で演奏可能な前二曲と異り、オーケストラのみを前提として作曲されたクララの未完のピアノ協奏曲にはやはり多少のハンディキャップがあります。この曲の土台を形成しているティンパニの存在感が消えているので、この曲本来の響きとは違うな、という印象を持ちました。『ブラームスの交響曲第一番冒頭を彷彿させる冒頭のティンパニを、コントラバスの弦を弾くことで表現するのかな?』と再生前に期待していましたが、コントラバスは弓で普通に演奏していました。曲の中間でティンパニが冒頭主題を再現するところでは期待通りにコントラバスが弦を弾いてティンパニらしい表現をしていたので、編曲された桐山さんも悩まれたのではないかと思います。
しかしこの点を除けば他の曲と同様に、グラーフと弦楽器の見事なハーモニー、全力での掛け合いを存分に楽しむ事が出来て、未完のピアノ協奏曲の演奏として異彩を放っていることに変わりありません。
このCDと同時に、ほぼ同じメンバーによるショパンのピアノ協奏曲第一番の弦楽五重奏伴奏版も購入して聴きました。あちらのピアノはショパンの愛した1830年製ブレイエルですが、より現代ピアノ的な響きを持っていて、グラーフに聴かれるような弦楽器との響きの近似性は希薄です。ですからピアノと弦の響きが有機的に交わるこの感覚というのは、どの古楽ピアノでも聴ける物では無いようですし、私も古楽ピアノによる室内楽のCDを何枚か持っていますが、今回の様な印象は初めてでした。
このCDを聴いて素晴らしさを実感した時に、ふと「世の中のクララ・シューマン研究家の人達...Nancy B. Reich, Josef de Beenhouwer, Diana Ambache, Lucy Parhamなど...はこの演奏を耳にする事が出来るのだろうか?」と心配になりました。普段はクララのCDを入手する為に、地球の裏側から超マイナーレーベルを探し求めなければならない日本人である事を恨めしく思う事がありますが、今回ばかりは日本人である事が幸いして形勢逆転ですね。人数分買って送ろうかとも思いましたが、まあ、彼らのようなプロの研究家なら情報網も豊富で心配いらないかな?
ただ、このCDの内容が素晴らしいだけに、2008年2-3月に無理してでもコンサートに行かなかった事をとても後悔しています。
このCDは、クララのオーケストラバージョンのピアノ協奏曲を聴いたことのある方、既にCDを持っている方には絶対のお勧めです。一般CDショップから注文出来る他、小倉貴久子さんのサイトや浜松市楽器博物館のミュージアムショップから通販で購入可能です。
2008.9.13、クララ189才の誕生日に
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