1833年7月13日、ローベルトからクララへの手紙

親愛なるクララ

僕はあなたが生きておいでだか、どんな風に過ごしておいでだか知りたい。お医者さんに何も恋しがってはいけないと固く禁じられました。ことにあなたを....疲れるからです。でも、今日はお医者さんが書くのを止めようとしたので、包帯を取って目の前で笑ってやり、好きなようにさせてくれなければ、病気をうつしてやるとおどかしてやりました。
お話したかったのは、こんなことではなくて、実はお願いなのです。私たちふたりをお互いにつなぎ、まだ思い出させる電力のようなものも今は有りませんから、僕が一つよい工夫をしたのです。
僕は明日11時の鐘がなると共にショパンの変奏曲の中のアダージョを弾きながら強くあなたを思い、あなたに心を集中します。お願いというのは我々の霊魂が逢えるように、あなたにも同じ事ををして欲しいのです。我々の分身が出会う場所は、きっとトーマス教会の小門のあたりでしょう。もし満月が現われたら我々の望みが叶ったと認めることにしましょう。ご返事をぜひ待っています。もしあなたが守って下さらねば、明日11時に一本の糸が切れるでしょう。それは僕です。心の底から申し上げます。
ローベルト・シューマン

1833年7月13日、クララからローベルトへの手紙

シューマン様

お母様に助けて頂いて、やっと御手紙が読めました。そしてさっそくお返事致します。熱でお苦しみで本当にお気の毒ですね。ビールをお医者様にお禁じになられては、さぞ禁酒をお守りになるのは大変でしょう。私が生きているかとお尋ねですが、もうそれはお分かりでしょうし、どんな風に暮らしているかはご想像がつきましょう。あなたがちっともいらして下さらなくて、楽しいはずがございません。
お願いは承知しました。明日の11時には私もトーマス教会の小門のところにまいります。
悲しい事に、することが沢山あって、長い手紙が書けません。どうかまたお手紙を下さいね。心から早くよくおなりのようにお祈りしております。

クララ・ヴィーク

(原田光子著、真実なる女性 クララ・シューマンより引用)

聖トーマス教会の裏側です。ローベルトの言う「小門」とは恐らく此処の事を指すのではないかと思います。
ショパンの変奏曲とは、『モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ」による変奏曲 変ロ長調 作品2』の事です。


このふたりの手紙の交換が、ふたりの愛の最初の確証であるとされています。事実、後年クララは「1833年にはふたりの愛は確かなものになっていた」と回顧しています。
そしてこの手紙の直後の8月1日に、クララはローベルトに自作の「ロマンス・ヴァリエ 作品3」を献呈します。ローベルトはロマンス・ヴァリエのテーマを用いた「クララ・ヴィークの主題による即興曲 作品5」を作曲し、返礼としてクララの父、フリードリッヒ・ヴィークに献呈しました。この時に、ローベルトは自分の名前とクララの名前が楽譜の表紙に並んだ事を、「表紙にふたりの名前が共に記されたことが、将来ふたりの意見と理想が一致することの予言でありたいと願う希望について、すこしばかりお話したかったのです。」と語り、将来の結婚について暗示しました。

聖トーマス教会の「小門」の情景がふたりの愛の出発点であり、7年後の1840年9月12日、シェーネフェルトの教会で「結婚」という形で結実したのです。


(この写真はサイトのお客様のSさんにご提供頂き、私の方で編集したものです)
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