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※曲目のデータなどは、ナンシー・B・ライク著「クララ・シューマン、女の愛と芸術の生涯・高野茂 訳」をベースに作成し、手持ちのCDの解説を参考にして補填しました。
ピアノのための3つのプレリュードとフーガ 作品16
III Praeludien und Fugen für das Pianoforte
(三つのピアノのためのプレリュードとフーガ〜初版の表題に記されたタイトル)
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第一曲;Präludium I, Fuga I (Andante - Alegro vivace in G minor)
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第二曲;Präludium II, Fuga II (Alegretto - Andante in B-flat major)
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第三曲;Präludium III, Fuga III (Andante - Andante con moto in D minor)
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作曲年;1845年2〜3月(25才)
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初演;不明
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出版年;1845年夏〜秋(25〜26才)。同年7月1日にクララはB&Hに出版依頼をし、8月17日までにB&Hが受託している。10月26日にはローベルトが知人宛に出版譜を郵送している。
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献呈者;なし
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自筆譜の所在;プレリュード第二曲は喪失。それ以外はローベルト・シューマン・ハウス(ツヴァイカウ)
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演奏時間;第一曲3'25"、第二曲3'39"、第三曲4'01"、合計 11'13"
(Josef de Beenhouwer盤)
この曲の成り立ちを書くとき、フェリックス・メンデルスゾーンの母であるレーア・メンデルスゾーンから始めるべきかも知れません。メンデルスゾーン家は成功したとても裕福な家柄で、父アブラハムは銀行家でした。メンデルスゾーン家は知性と教養を大切なステータスと考えており、子供たちに豊かな教育を施しました。母レーアはピアノにも優れた音楽家であり、子供たちの音楽教育に携わりましたが、彼女は当時あまり知られていなかったバッハの音楽の良き理解者でした。フェリックスの姉の長女ファニーが生まれたときに(1805年11月14日生まれ)、母レーアが「この娘はバッハのフーガを弾くのに相応しい手をしているわ」と語ったことはメンデルスゾーンファンならば御存知かも知れませんね。レーアはファニーとフェリックスに授けた音楽教育の中にバッハを織り込み、二人の姉弟はバッハの音楽と共に成長しました。その甲斐あってファニーは13才の時に平均律クラヴィーア曲集の前奏曲を全て暗譜で演奏するという離れ技をやってのけました。フェリックスの方は1829年にマタイ受難曲の蘇演という歴史的偉業を成し遂げ、それ以外にも様々なバッハ音楽を当世に紹介しました。その結果、現代の私たちはバッハを広く愛好していますが、これらは全て母レーアのお蔭と言えましょう。
クララがフェリックス・メンデルスゾーンと初めて出会ったのは、父ヴィークと二人でパリに演奏旅行に出かけた1832年2月26日(12才)。パリの音楽夜会でショパンが演奏する席に、リストやメンデルスゾーンと同席して以後の事です。しかし二人の親交が本格的に深まるのは1835年8月にフェリックスがライプツィッヒ・ゲヴァントハウスの指揮者に就任して、直後にヴィーク家を訪問してからです。この日、ふたりは互いのために曲を演奏しあいましたが、クララがフェリックスの為に弾いた曲は「バッハのフーガ」でした(恐らく平均律の中の1曲)。その数週間後にクララは、フェリックス、ラーケマンと共に「バッハの三台のクラヴィーアの為の協奏曲ニ短調」を演奏しています。
その様なフェリックスとの交友から、流行疾患が近しい人達の間で広まるように、クララとローベルトも早くからバッハを理解し、勉強し、演奏会で演奏もしていました。
クララとローベルトが結婚して4年が過ぎ、長年住みなれたライプツィッヒからドレスデンに引っ越した直後の1845年1月にローベルトは「フーガ熱」に取り憑かれ、バッハのフーガ研究に没頭します。この時に生まれたのがローベルト・シューマンの「ペダルフリューゲルの為の練習曲・作品56」「ペダルフリューゲルの為のスケッチ・作品58」「BACHの名による6つのフーガ・作品60」「四つのフーガ・作品72」などです。
この時にクララも夫の音楽研究に参加しました。クララは1845年1月23日の日記に「今日、わたしたちは対位法の研究を始めましたが、苦労するものの私には大いなる喜びでした。」と書いています。クララは3月10日まで夫と共に研究を続け、一旦中断して三女ユーリエを産み(3月11日!前日までクララはフーガ研究をしていたことになります)、ユーリエの洗礼式の前日の4月7日にはフーガ研究を再開しています。この中でクララは2月11日、17日、22日に三曲のフーガを作曲し、更に3月1日、2日、3日に更に三曲のフーガを作曲しています。ローベルトはこの中から三曲を選んで出版を企図し、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社に「妻の誕生日(9/13)までに完成させられますか?」と問い合わせています。
この様にして生まれたのが「ピアノの為の三つのプレリュードとフーガ・作品16」です。ローベルトは「フーガ」という難しいジャンルの曲に女性が取り組むのは始めての事であろうと知人に書いて送り、フーガ研究の愛弟子クララのこの曲を大いに誇っていたようです。
なお、クララのこのフーガ研究の中で生まれて、作品16に含められなかった曲達も録音されて、現在聴くことが出来ます。Jozef de Beenhouwer盤に収録されている「J.S
Bachの主題による三つのフーガ」「プレリュードとフーガ・嬰ヘ短調」「プレリュード・ヘ短調」です。
さて、この作品16ですが、1曲4分前後の小規模な曲で、いずれにも短いプレリュードが演奏された後にフーガが展開されます。特にフーガ部分はバッハの曲の様な響きを持っていますが、しかしこの曲はバッハとは違ってオルガンで弾くとあまり魅力的には響きません。それは何よりクララの曲の特質として「速やかに音が立ち上がり、愛らしく音が減衰する」ピアノの特性を曲の本質部分に利用しているからです。緩やかに音が立ち上がり、減衰せずに音が持続するオルガンでは特にプレリュード部分が「愛らしくもなく」「力強くもなく」中途半端な響きになってしまいます。クララはバッハを尊敬しバッハの研究をしてもやはり本質はピアニストなのです、という事を私が知った曲でした。
※オルガン演奏の作品16はこのCDで聴くことが出来ます。
第一曲 Präludium I, Fuga I (Andante - Alegro vivace in G minor)
プレリュードは短調のアレグレットで、深き哀愁に満ちた独白の様な響きは大人のクララのピアノ曲。続くフーガは、プレリュードとは関連を感じさせない突然の大きな音の主題提示と共に声部が相次いで加わり、音域も広く採られてバッハの曲を聴いているような短調の荘厳な雰囲気で満たされます。この曲ではプレリュードとフーガに大きなコントラストがつけられています。
プレリュード1冒頭譜例(出典;Bärenreiter BA6550)
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フーガ1冒頭譜例(出典;Bärenreiter BA6550)
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第二曲 Präludium II, Fuga II (Alegretto - Andante in B-flat major)
プレリュードは長調のアレグレット、若きクララならではの優しくも愛らしいキラキラしたメロディが多少の憂いを交えながら紡がれて行きます。それに続くフーガはプレリュードの左手伴奏に隠されていた音から主題を作り出した印象。その主題が提示されて四声のフーガに発展しますが、一曲目とは異なり聴感上の規模をあまり大きくせず、主題に変化を持たせつつもプレリュードとの仲の良さを感じさせます。
プレリュード2冒頭譜例(出典;Bärenreiter BA6550)
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フーガ2冒頭譜例(出典;Bärenreiter BA6550)
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第三曲 Präludium III, Fuga III (Andante - Andante con moto in D minor)
プレリュードは愛を知る大人の響きを持つ短調のアンダンテ。しかし厳しすぎず、優しさと光を感じるのは女性クララの曲だから?フーガはプレリュードの主題がそのまま使われて、徐々に声部が加わり四声の壮麗なフーガが繰り広げられます。この曲は耳で聴いているとプレリュードとフーガが一体の曲で、後半(フーガ)に向けて規模拡大してい行く曲のように響きます。
プレリュード3冒頭譜例(出典;Bärenreiter BA6550)
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フーガ3冒頭譜例(出典;Bärenreiter BA6550)
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