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Clara & Robert Schumann
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Collegium Musicum der Universitat Karlsruhe Hubert Heitz (Cond), Ira Maria Witoschynskyj (Pf)
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レーベル;BELLA MUSICA |
入手性;廃盤 |
CD番号;BM CD 31.2181 |
お気に入り度;★★★★ |
録音年月日;1995年7月10-11日 録音;DDD |
資料的貴重度;★★★★★ |
収録時間;60分05秒 |
音質 ;★★★★ |
収録曲
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ローベルト・シューマン:ピアノとオーケストラの為の協奏楽章・二短調(1839年未完、1988年Jozef de Beenhouwerによる補稿)
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ローベルト・シューマン:スケルツォ・ト短調(交響曲・ハ短調1841年〜第2楽章までの断片から、Joachim Draheimが補稿したもの)
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ローベルト・シューマン:交響曲第1番・変ロ長調・作品38「春」(1841年作曲、1853年出版譜による演奏)
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クララ・シューマン:ピアノ協奏曲・ヘ短調(1847年未完、1994年Jozef de Beenhouwerによる補稿)
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クララ・シューマン:行進曲・変ホ長調(1879年。1888年Julius Otto Grimmによる管弦楽バージョン)
コメント
この解説は2008年7月に書いていますが、このCDは2008年の新譜ではなく、1996年の発売から12年の歳月を経て私の手元にやって来た幻のCDです。先ずは入手の経緯などを、、
1999年に発刊された「女性作曲家列伝・小林緑編著、平凡社」という本の巻末のクララ・シューマンのディスコグラフィーに、未完の協奏曲とオーケストレーションされた行進曲(本来はピアノ曲)を収録したCDの情報が記載されているのを見つけて、直ぐに海外直輸入CDショップから発注しましたが、1999年当時既に廃盤で入手できませんでした。それ以来全くこのCDの情報に触れる事が出来ず、入手は諦めていました。
私は新発売のクララのCDが無いか、時々主なインターネットショップを時間をかけてチェックしますが、ある日ドイツのアマゾン(amazon.de)にこのCDのページが有る事を発見しました。そのページは不完全でCDのタイトルは適当、CDレーベル名も番号も無く、ただ収録曲が書かれているだけのページでしたが。その中にクララの未完の協奏曲と行進曲があり、しかも行進曲の演奏者がピアニストではなくオーケストラ、協奏曲の方のピアニストがIra Maria Witoschynskyjであることから、このCDのページであると確信。当然ながらCDは廃盤で入手不可能になっていました。
ひょっとしたらマーケットプレイス〔個人やアマゾン以外の業者がアマゾンのページに出品する場所)に中古物件が出るかも知れないと、一分の望みをかけてこのページを毎日チェックする事にしました。それから約一年、とうとうマーケットプレイスに出品があり、読めないドイツ語と格闘しながら発注してめでたく入手できました。クララが生まれた街ライプツィヒのCDショップから航空便で我が家にやって来たそのCDは、奇跡とも言える新品未開封でしたが代償として価格も高く、CD一枚あたりの価格では私が今まで購入した中の最高額になってしまいました。でも入手出来て本当に良かったです。
収録曲については上のリストを見て頂ければ分るように、交響曲第1番を除けばクララとローベルトの極めてレアな曲が選ばれています。演奏については、オーケストラのみの曲と、ピアノとオーケストラの曲では印象が異るので、収録順とは異りますが、オーケストラ曲から書きたいと思います。
交響曲第1番「春」・作品38は1841年に作曲されましたが、このCDには「1853年のスコアによる」と書いてあります。手持の文献には1841年以外の記述が無く、特別な異稿でもあったのかと思いましたが、Wikipediaによればローベルトは1841年3月31日の初演の後で推敲を重ねて同年中にパート譜を出版、総譜出版が1853年との事です。通常演奏されるのはこの1853年版の方で初稿はむしろ希らしいです。
演奏はとても快活で推進力があり、聴いていて楽しいです。この曲のリファレンスにしているサヴァリッシュ/フィルハーモニア管の演奏と比較しても、さほど聴き劣りしません。オーケストラの規模が違うので流石にフィルハーモニア管ほどの厚みはありませんが、その分若々しい、クリアな演奏です。個人的にお気に入りに演奏になりました。
交響曲ハ短調1841年の断片からJoachim Draheimが補稿したスケルツォ・ト短調ですが、この曲の録音は恐らく他に無いのではないかと思います。補稿したJoachim DraheimはこのCDの解説を書いている人なので、現代の音楽家です。生憎解説がドイツ語でしか書かれていないので彼の詳細は分りません。この曲を2〜3回繰り返して聴いたら妙に耳に馴染んできて、初めて聴いた気がしませんでした。ひょっとしたら他の交響曲のスケルツォに転用されているのでは?と思うほど。実際に聴き比べると1番から4番までのどの交響曲のスケルツォとも違う曲なのですが、特に同年に作曲された1番のスケルツォとは楽想がよく似ていて、入れ替えて演奏されても私は気付かないかも知れません(笑)。そういう雰囲気を持った曲です。
しかし、それにしても初めて聴いた気が全くしないので、さらに調べると、色とりどりの小品・作品99(ピアノ独奏曲)の第12曲「スケルツォ」と同じで、これをオーケストレーションした曲になっていました。ローベルトはハ短調交響曲の作曲を途中で止めたあとで、後年ピアノ曲のひとつとして転用したのでしょう。演奏の方は交響曲第1番「春」と同様に、推進力をもって明るく快活に演奏されて、聴いていて楽しいです。
クララの行進曲・変ホ長調は、本来ピアノ独奏かピアノデュオで演奏される曲です。とは言えピアノ独奏版はJozef de Beenhouwerの全集でしか聴く事が出来ません。デュオ版のCDは2008年7月時点で存在しておらず、ネット上の情報によれば2007年11月17日、杉並公会堂小ホールでデュオ・フレッシェ(西澤健一さん、美歌さん)により演奏されています。何れにしても演奏頻度の極めて低い曲です。
この曲はクララの友人のユリウス&パウリーネ=ヒュープナー夫妻の金婚式の為に1879年に作曲されました。クララの作曲活動は事実上ロマンス・ロ短調(1855年)で終止符が打たれており、日頃運指の練習としてクララが弾いていた曲を他の人が楽譜に書き下ろした「プレリュードと、学習者の為のプレリュード集(1895年)、前奏曲集(1895年)」を例外として、唯一晩年に作曲された曲です。このCDに収録されている曲は1888年にユリウス・オットー・グリムがオーケストレーションした管弦楽版で、このCDが世界初録音で他に録音は見当たりません。またクララの曲で鍵盤楽器(ピアノ/オルガン)の無い演奏/録音は、この演奏以外には「エマニュエル・ガイベルの詩による、四声無伴奏の為の三つの混声合唱曲」のCDが二種類あるのみです。洋琴姫クララの曲としては例外中の例外とも言える演奏です。
管弦楽版だけあって、演奏はピアノ版よりも色彩豊かで華やかなものになっています。メンデルスゾーンの結婚行進曲同様にトランペットのファンファーレに続いてフルオーケストラの演奏が始まる編曲は、幸福な時の幕開けを見事に表現しています。結婚行進曲に比べると、金婚式行進曲のこちらは長年の想い出を語るような落ち着きのあるメロディラインもあって、奥ゆかしい曲になっています。交響曲第1番同様に、この演奏も推進力があり、快活な表現で聴いていて楽しいのですが、老夫婦が歩く行進曲としてはテンポが早すぎるようです。この曲をポータブルプレーヤーで聴きながら実際に行進してみましたが、セカセカ歩かなければなりませんでした。Beenhouwerによるピアノ独奏版はテンポがずっと遅くて、老夫婦の歩みに付き添う音楽になっています。
ピアニストのIra Maria Witoshynskyj(イラ・マリア・ヴィトシンスキ)はClara Schumann and her Familyでクララに関係する貴重な曲の演奏を届けてくれた、クララファン(クラリスト)の鑑のような存在です。このCDでの演奏はクララとローベルトの未完のピアノ協奏曲という素敵な取り合わせです。生憎CD入手が遅くなったのでこの二曲を収録したCDは他にもありますが、1996年当時に入手出来ていれば私は狂喜乱舞していたに違いありません。
彼女のピアノが加わった二曲ですが、ピアニストの個性なのでしょう、オーケストラ曲にあった推進力や快活さが消えて、静かに、時々立ち止まるような演奏になっています。オーケストラの存在感もずっと後退して、良く言えば嫋やか、言葉を代えればメリハリの少ない演奏になっています。
ローベルトのピアノとオーケストラの為の協奏楽章・二短調は、最初に聴いた時には別の曲に聞こえました。原因はピアノの音にメリハリ感が少ないことと、ピアノとオーケストラの掛け合い、対話があまり感じられないところです。但し後半に行くにつれてピアノとオーケストラが盛り上がり、演奏意図として後半の盛り上げの為に前半は控え目に弾いているのかも知れません。今回改めて他のCDと聴き比べましたが、Elena Margolina盤の方が推進力に満ちて雄大さもあり、私好みです。
クララの未完のピアノ協奏曲・ヘ短調は他に3種類の録音があり、何れもブラームスのピアノ協奏曲を思わせる様な雄大さを持ち、特に冒頭のティンパニによって奏でられる部分はブラームスの交響曲第1番の冒頭の生き写し(作曲はブラームスの方が後)の様な演奏になっていますが、このWitoshynskyjの演奏は女性らしさを意図したのか、雄大さが影を潜めて、比較的嫋やかなピアノ演奏に、静かにオーケストラが寄り添うという印象の出だしになっています。暫くはオーケストラとの掛け合いも大人しく、淡々と演奏が進められますが、後半に行くにつれて盛り上がりを見せるのはローベルトの協奏楽章の演奏と同様です。但しピークは後半1/3ぐらいのところにあり、そこを過ぎるとまたテンションを下げて、大人しく終曲を迎えています。改めて聴き比べるとElena Margolina盤やDiana Ambache盤の方がやはり個人的には好みの演奏になっています。
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